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断捨離がもたらす心と環境への影響

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断捨離っていうのは、主に物理的なものを整理したり整頓したりすることを指すことが一般的みたいだけど、このプロセスが心にも深い影響を与えることがあるらしいんだ。 👀「へぇ~、断捨離って心にも影響を与える場合があるんだ」 ただし、これはすべての人に当てはまるわけではなく、逆にストレスや不安を引き起こす場合もあるから、けっこう個人差が多きいみたいだね。 👀「う~ん、物って自分のステータスみたいに扱っている人もいるから、そういう人にとっては物がないと落ち着かないのかな」     そうかも、あとは不要な物を手放すことで、頭の中が整理されるって感じる人もいるみたいで、そうすると過去の出来事や未来の心配事に縛られずに済むようになり、それが安心感に変わることもあるみたい。 👀「なるほど、頭の中が整理されると、心にも安心感をもたらすってことか」 ただし、これもあくまで一部の人にとっての効果で、誰にでもあてはまるわけではないんだよね、無理に断捨離を進めると、逆に過去の思い出や感情が強くなってしまって、かえって不安を感じる人もいるんだ……自分もどっちかというとそういうタイプかもしれない。  👀「過去の思い出か……大切なものもあるかもしれないからね……」          あとは、不要な物が減って周りが整然とすることで集中しやすくなり、注意力が散漫になることを防いでくれると感じる人もいるんだ。 👀「へぇ~、心地よく生産的な空間になることもあるんだね」 でもこれもまた、すべての人に共通する効果とは限らないんだよね、人によっては物が少なすぎて落ち着かなくなることもあるし、快適さの基準も人それぞれだから、自分に合った環境を見つけることが大切なんだ。 👀「ふ~ん、自分に合った環境を見つけることも断捨離の目的のひとつなんだね」                         でも、過去の思い出や感情がつまった物を手放すのは、なんとなく寂しい感じもするよね。  👀「う~ん、だけど、過去に縛られているよりも現在と未来に焦点を当てたほうが心は楽になるのかもしれないね」 そうかもしれない……断捨離を通じて、何が本当に重要で、何が自分にとって意味のあるものなのかを見つめ直すい...

「心配事は9割は起こる」と思って備えるべき理由~不安を減らす現実的な準備術

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「心配事の9割は起こらない」って聞いたことがあるけど……でも、残りの1割が実際に起こるかもしれないって考えると、おちおち寝てられないんじゃないの?。 👀「えっ、そりゃあそうだけど……でも、そのぐらいの確立しか起きないってことだから、必要以上に心配する必要はないってことじゃないの?」 でも実際、ゼロじゃないよね。 👀「まあ、確かに……ゼロではないね」 だったらむしろ「心配事は9割起こる」って考えて、最悪のシナリオに備えたほうが安心できるんじゃないかな?。 👀「確かにそうだね、”転ばぬ先の杖”は、あって困るもんじゃないからね」 徹底的な準備が不安を減らす 最悪のシナリオを想定し、あらかじめ具体的な対策を立てておけば、いざというときにも冷静に動けるんじゃないかな。 👀「そうだね、たとえば自然災害、病気、仕事のトラブル、経済的不安……いろんなリスクに対して事前に備えるってことだよね」 そう、それに、可能性のあるリスクをリストアップして、それぞれに対するプランを用意しておけば、余計な不安を減らせると思うんだ。 👀「それって”心の保険”みたいなものだね」 心理的安心感を高める 最悪を想定してきちんと準備しておけば、実際にそれが起きなかったとき、すごく安心できると思う。 👀「なるほど、心配してたことが現実にならなかったときの安堵感って大きいよね」 それに、常に「備えてある」って感覚があると、日々のストレスも減るし、精神的に安定する気がする。 👀「ストレス対策にもなるってことだね」 柔軟な対応力を持つ 心配事が起きる可能性を現実的に捉えて、情報を集めた上で判断することが大事だと思う。 👀「情報収集だね、感情じゃなくて、事実に基づいて備えるのがポイントだよ」 それに、計画はひとつに絞らない方がいいかも、状況によって柔軟に変えられる準備が必要だよね。 👀「そうそう、プランA、プランB、プランCって感じで、複数の選択肢を用意しておくのが大事」 未来はひとつじゃない、だから、いろんなシナリオに備えておくことが安心に繋がると思うよ。 👀「”一本道”じゃなくて、”分岐だらけの道”を想定するってことだね」 過度の心配を防ぐた...

気分を良くして前向きに生きる

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毎日変化するもののひとつに、心の状態、つまり気分がある。 この気分は、体調や環境、過去や未来のことを考えている時、さらには目の前にいる人間の言動ひとつでも変化してしまう……このように非常に厄介なものである。 この気分の厄介なところは、仮に同じような物事を考えたり思い出したりしたとしても、その時の気分の良し悪しで、その物事の捉え方が異なってしまうことである。 気分が良ければプラス思考になり、過去の失敗や嫌な出来事を糧にして未来に希望を託そうとする。 しかし、気分が悪ければマイナス思考になり、過去の失敗や嫌な出来事に縛られ未来を不安で包んでしまう。 気分が良ければポジティブになり、やる気が湧いていろんなことに挑戦したくなるが、気分が悪ければネガティブになり、やる気を失い、行動が制限されてしまう。 これは日常生活にも支障をきたしてしまうし、なによりもやる気が喪失するのは大問題である。 せっかくの人生なんだから、良い気分の状態を毎日持続して、有意義な時間を過ごしていきたいと思う。 しかし、この気分の厄介なところは自分でコントロールするのが難しいことである……でも、意識して変えていくことはできるはずである。 それにはまず、自分の気分は自分でなんとかするように意識する、なるべく毎日の気分をフラットな状態か、あるいは良い状態に保つよう心がける。 体調が原因で気分がすぐれないと思うなら規則正しい生活を心がけたり、体調管理を意識して生活する。 早寝早起きで充分な睡眠を取ったり、暴飲暴食を控えるなどして体に負荷をかけないことを心がける。 環境が原因で気分がすぐれないと思うなら環境を整えたり、変えたりする。 職場なら気分を害する人間とは距離を取る、もしくは転職するなどを考慮する。 人間関係が原因で心を病んでしまうと気分をコントロールするのはかなり難しくなってしまう。 不安や悩みが原因で気分がすぐれないと思うなら本を読んで先人の知恵を借りたり、信頼できる人間に相談したりする。 そうやって上手く気分をコントロールしてプラス思考を維持できれば、やる気がでて有意義な人生を送れる...

自由と心の解放

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人生は「自由」という言葉で語られることが多くある。 しかし現実において、その自由は簡単に手に入るものではない。 自分の好きなことをして生きる――理想的な姿に見えるが、実際には経済的な制約や社会的な責任が伴い、思い通りに進むことは今の世の中では難しいと思う。 そして、 自由に生きるとは、自分の行動や選択に対する責任を引き受ける覚悟があるということ。 その意味で、自由は何もせずに得られる状態ではなく、努力や条件のもとに成り立つものだと言えるかもしれない。 自由の現実と制限 「人は生まれながらにして自由である」と聞いたことがあるが、現実はそう単純ではない。 我々は家庭、教育、社会のルール、経済的状況など、さまざまな枠組みの中で生活しており、完全に自由な状態というのは非常に限定的である。 たとえるなら、鳥が籠の中で飛べる範囲が限られているように、我々の自由もまた、社会的・人間関係的な枠に縛られていることが少なくない。 このような制約が積み重なった結果、心の余裕を失い、ストレスを抱える人も増えているように感じる。 心の自由と人間関係 多くの悩みの原因は、人間関係にあるとされている。 これは決して他人のせいというわけではなく、我々の「心のあり方」にも関係している。 なので、外部の状況や他者を思い通りに変えることは難しくても、自分の感じ方や考え方は少しずつ変えていくことができるかもしれない。 心の自由を得るためには、まず自分の内面に目を向け、何が自分を縛っているのか、どんな価値観に影響されているのかを見つめ直すことが重要だと思う。 自由を取り戻すためのステップ 解釈を変える 同じ出来事でも、その受け取り方によって心の状態は大きく変わってくる。 否定的な見方ではなく、肯定的に捉えることで、ストレスを減らし心の余裕を保つことができる。 少しずつでも「見方を変える練習」をすることが、心の柔軟性につながると思う。。 ・関連記事   ものの見方を変えて考え方を変えてみる 思い込みを手放す 「こうでなければならない」「自分はこうあるべきだ」といった固定観念が、自分自身を縛っていることがある。 それらの思い込みに気づき、ひとつずつ手放していくことで、より自由な視点を持てるようになる。 ・関連記事   安全な車間距離と互いの「べき思考」 欲望を減らす 必要以上の欲望は...

「羨ましい気持ち」に振り回されないための考え方

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どうして人間には、こんなにも多様な感情があるのだろうか?……この問いは、感情がコロコロと変わるたびに、ふと頭をよぎる。 過去を振り返るときも、未来を思い描くときも、そして今この瞬間ですら、感情は理由もなく揺れ動いている。 それが時に面倒で、厄介で、煩わしく感じることがある。 特に厄介なのは、ふと他人を羨ましく思ってしまうとき……。 あの人の成功、あの人の才能、あの人の幸せそうな様子。 そういったものを目にした瞬間、せっかく保っていたやる気が一気に削がれてしまうことがある。 この感情の正体は「比較」だと思う。 他人との比較から生まれた感情は、気分や状況によっていろんな顔を見せる。 気持ちがポジティブなときなら、「あの人はあの人、自分は自分」と自然に思えるし、羨ましさを憧れに変えて、「いつか自分も」と前向きになれることもある。 でも、ネガティブな気分のときは違う。 羨ましさが嫉妬に変わり、怒りや憎しみへと変化、それが重たくのしかかってくる。 そしてもし、それが自分の苦手な相手だったり、「自分より上」と感じる存在だったりした場合には、、劣等感にまで発展してしまう。 そうなると、心がどんよりと重くなって、何をする気にもなれなくなる。 ――やる気ROST。 「もし自分があの人のような環境で生まれていたら」「もっと見た目がよければ」「運があったら」……そんな”もしも”を想像しはじめると、虚しさばかりが募ってくる。 けれど、ネガティブな感情がすべて悪者というわけではない。 不安や嫉妬が、自分の弱点や本当課題に気づかせてくれることもある。 その気づきが、成長のきっかけになることもある。 だから、まずは「そう感じてしまう自分」を否定しないこと。 感情を抱え込むのではなく、正直に受け止める。 それが第一歩。 比較だって、上手に使えば役に立つ。 自分の目標がはっきりしたり、やる気の火種になることもある。 ただし、無理やりポジティブに変換しようとするのは危険。 無理に飲み込んだ感情は、いずれ別のかたちで吹き出してしまうことがあるからだ。 感情は否定せず、冷静に見つめ直す。 たとえば、他人の成功を「自分の目標」として捉え直すことで、自分がこれからなにをすべきか、道筋がはっきりしてくることもある。 それでもどうしても羨ましさばかりが心に残ってしまうなら、他人との接点を...

「わかったふり」のアドバイスが人を傷つける理由と思いやりの本質

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心というものは、人間ひとりひとりに唯一無二のものとして存在し、それぞれの内面は独自の感覚や感情の集まりである。 そして、その心の中で起きていることは、どれほど親しい間柄であっても、結局のところその人自身にしか完全には理解できない。 他人の心は「想像」するしかない 我々が、他人の心の状態を推し量るとき、表情や言葉、行動といった外に出てきたわずかな手がかりから想像するしかない。 そして、その想像もたいていは、自分がこれまでに経験してきた類似の感情や状況をもとに「きっとこんな感じだろう」と推測するに過ぎない。 だが、当然ながらその推測が的を射ている保証はどこにもない。 「共感」は本当にできているのか? それにもかかわらず、「共感」という言葉は世の中にあふれていて、「共感できること」が善とされているような風潮すらある。 もちろん、双方が納得できるかたちで成立している共感というのは、非常に価値あるものだと思う。 「共感」のあとに始まる「勝手なアドバイス」 しかし、問題はその「共感」に続けて、勝手なアドバイスを始める人間である。 「気持ちは分かるけどさ……」と切り出されて、こちらが求めてもいない改善策を提案されることがある。 だが、その人がかつて経験した心のダメージが30%くらいで、今まさに苦しんでいるこちらのダメージが70%だとしたら、そのアドバイスな何の役にも立たないことが多い。 見えない傷は深さも見えない 心の傷の深さというものは、外からは見えにくい。 けれど、それが倍以上も違えば、回復に必要な時間も方法もまったく異なるはずだ。 それなのに、表面だけを見て「こうすればいい」と言ってくる人間は、たいてい自分の物差しでしか人を見ていない。 試しても効かないときの「それぐらいのことで」 さらにやっかいなのは、こちらがそのアドバイスを一度試してみた結果、やっぱり効果がなかった時に、「それぐらいのことで……」という態度をとられることである。 この瞬間に、心の深い部分で傷つき、さらなる孤独や無力感に追い込まれてしまう人も少なくない。 同じ体験でも感じ方は人それぞれ 多くの人間は、同じような体験をした人間同士ならば、同じような心の反応を示すだろうと、無意...

心がザワザワする理由~感情と心臓の関係とは

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将来に起こりうる嫌なことを予想するだけで、胸の中心、心臓のあるあたりがなんだか苦しく感じられることがある。 これは、心配や不安を抱えているときに、多くの人が共通して経験する感覚なんじゃないだろうか。 もちろん、その感じ方は人それぞれだと思うけど、自分の場合は「ザワザワする」という表現がいちばんしっくりくる。 子供の頃なんかは、「心臓に心があるから、こうなるんだろう」なんて思っていた時期もあった。 たしかに「心臓」っていう漢字も、「心」と「臓器」の「臓」が組み合わさってできてるし、そんな発想を強めていたのかもしれない。 でも実際には、感情って脳で処理されているんだよね。 感情が生まれると、それに連動して自律神経系の反応が起こる。 自律神経系には「交感神経」と「副交感神経」があって、この二つが心臓の動きや血圧の調節に大きく関わっている。 たとえば、ストレスや恐怖のような強い感情が湧いたときには、交感神経が活発になって、アドレナリンやノルアドレナリンが分泌される。 それによって心拍数が上がり、血圧も上昇して、心臓がドキドキしたり、締めつけられるような感覚になったりする。 逆に、リラックスしているときは、副交感神経が優位になる。 その結果、心拍数は落ち着いて、呼吸もゆったりし、心臓の動きも穏やかになる。 深呼吸や瞑想、ぬるめのお風呂にゆっくり入ることなんかは、副交感神経を優位にしやすいとされていて、実際、心身ともに落ち着く感覚が得られやすい。 こうして感情が脳から自律神経を通じて心臓に影響を与えることで、「心臓が感情を感じている」ような不思議な感覚が生まれてくるんだと思う。 特に、交感神経が優位になったときには、心臓が刺激されすぎて「ザワザワする」といった違和感を持つこともある。 逆に、副交感神経が働いてリラックスしているときには、「フワフワする」とでも言うような、軽やかな心地よさを感じる瞬間もある。 こうした心臓の変化はすべて、自律神経が関わっている証なんだと思うと、人間の体って本当によくできているなと感心する。 とはいえ、感情の波が激しすぎたり、ストレスを慢性的に受け続けたりすると、自律神経のバランスが崩れてしまうこともある。 ...

心の容量をひたすら維持する

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なぜなのか、他人の言動がとてつもなく気になってどうしようもない日がある。 そんな日に、他人から文句を言われたり、嫌味を言われたり、妬みを言われたり、相手の態度が悪かったり、何かを否定されたりすると、とてつもなく嫌な気分になる。 その嫌な気分をいつまでも忘れることができなくて、心の中がモヤモヤしたり、イライラしたり、ザワザワしたりして、胸のあたりが苦しくなるような感じが一日中続くこともある。 挙句の果てに夜寝るときに反芻という、嫌なことを何度も何度も繰り返し思い出すことが始まってしまい、夜も眠れなくなって朝まで続くこともある。 これまでに、どのくらいの時間を無駄にしてしまったのか分からない。 しかし、なぜなのか分からないが同じような内容を言われたとしても、さほど気にならない日もある。 なんか言っているな~って感じる程度なので気分にも影響がない。 心に負荷がかかっていない状態なので、夜は熟睡できる。 いつしか、なぜその日によって心の状態が変化しているのか気になりだしていた。 気にならない日はもしかして相手を俯瞰して見れるようになったから気にならなくなったのかと思ったけど、なんか違うような気もする。 なんとなくだが、心の容量というものの変化に伴うことのように感じるようになってきた。 心の容量とはキャパシティ(略してキャパ)と言われていて物事を受け入れる能力のことである。 例えば人間の心も箱のような入れ物でできていて、毎日大きさが変化するのかもしれない。 この変化する心の容量の状態が人間関係をめんどくさくしている要因のひとつかもしれない。 心と体はつながっている 他人の言動が気になる日は、不安やストレスで心の状態が不安定になっていたのか、それとも体調不良が原因だったのか。 なんとなくだが両方とも原因の可能性があると思う。 なぜなら不安やストレスを感じているときは胸の辺りが苦しくなるし、体調がすぐれないときは心がモヤモヤした感じになる。 因果関係が有るのか無いのか分からないが、これまでの経験では有るとしか思えない。 「病は気から」という言葉もあるし、心と体は繋がっていると思う。 心の容量をイメージしてみる 生まれ持っ...