投稿

3月, 2021の投稿を表示しています

宝くじでの高額当選と幸福のジレンマ

イメージ
もし宝くじで高額当選したら、悠々自適な生活を送って贅沢三昧、これしかないっしょ!。 👀「ずいぶん鼻息が荒くなってるね」 でもね、実際には高額当選者の多くがその後、あまり幸せになっていないって話もあるんだ……。 👀「えっ、高額当選したのに、幸せになれないの!?」 そうなんだ、理由のひとつは、急に大金を手にすると気持ちが大きくなっちゃって、無計画に使いすぎたりすること、さらに、今まで連絡がなかった親戚や知人が突然現れて、「お金貸して」って言ってくるなんてこともあるみたい……。 👀「ふ〜ん、じゃあ、全部貯金して利息で生活すればいいんじゃないの?」 う~ん、今は金利がすごく低いから、それだけで生活していくのはちょっと現実的じゃないかな。 👀「……そうなんだ……」 こうやって考えると、宝くじに当たってもリスクがあるし、当たらなきゃ夢も見られない、ちょっとしたジレンマだね。 👀「お金だけじゃ幸せになれないってことかもね……」 夢を買うのが宝くじだけど、いざ当たったら、そのお金をどう使うかをしっかり考えないと、その夢が不幸を招くことだってあるのかもしれない……。 👀「うん、幸福になるためには、どう使うか、が大事なんだね」 高額当選後のリスク管理 当選したときに本当に幸せに暮らすためには、まず誰にも言わないことが大事!。 👀「えっ、そんなに秘密にするの?」 うん、下手に話すと、周囲との関係がギクシャクしたり、頼まれて断れずに貸してしまったりすることも……一番無難なのは、「当たる前と同じ生活」をしばらく続けること、それでも何かに使いたいなら、たとえば信頼できる専門家と相談しながら投資したり、事業を始めるという選択肢もアリ。 👀「事業って、なんだか夢があるね」 逆に、誰も知らないところでひっそり暮らすって手もあるかな、大切なのは、当選前から「自分にとっての幸せ」を考えておくことだね、でもね、実は——当たる前に「どう使おうかな」って考えてる時間が、いちばん楽しいのかも。 👀「それ、なんかわかる……」 お金で買える幸福とその限界 給料日やボーナスが入ると、つい贅沢したくなるよね。 👀「うん、ついつい、ね〜」 苦労して稼いだお金ですらそうなるんだから、宝くじで急に何億円も手に入ったら、冷静さを保てるかどうか……しかも、一度贅沢の味を知っちゃうと、...

せっかくの人生だから何でも楽しんでみる

イメージ
いったい何を楽しめばいいのか。 この世知辛い世の中で楽しみなんてあるんだろうか。 いつも自問自答しているが、たいした答えなど見つからない。 取り敢えず、欲求を満たしていくことが最優先のような気もする。 「食欲」「睡眠欲」「性欲」の三大欲求を満たしていく。 たぶんこれは当たり前のことだと思っているので楽しみには入らないと思う。 それじゃあ趣味を満喫する、時間はつぶせると思うが……。 それじゃあお金を貯める、老後は安心だと思うが……。 それじゃあやりたいと思った仕事につく、なんとなく近い気もする。 どれも楽しめるとは思うが、なんか違うような気がする。 人間関係に疲弊しないで、なんかもっと人生を楽しむ方法や考え方はないんだろうか。 でも、めんどくさい人間関係がある以上、人生を楽しむのは不可能に近い。 あらゆる欲求を満たしていっても満足できるのは一瞬である。 すぐに新しい不安や悩みでいっぱいになり、それを忘れるために欲求を満たしてごまかしている。 それが人間という生き物。 なんか……。 生きていることに焦点を当ててみる この世に生まれてきた自分自身という存在は自分ひとりしかいない。 せっかく生を受けて今現在生きているのだから、生きていること自体を楽しんでみることはできないかを考えるようになっていった。 それには、何もかもが当たり前じゃない、ということに気づくこと。 生きていること自体が当たり前じゃないということに……。 たとえば、何気なしに見ていた景色も時間とともに変化している。 立ち止まって見ていると、せわしなく生きていたときには気づきもしなかったことを発見したりする。 いろんなことを見たり聞いたり味わったり触れてみたり感じてみたりして、新しい発見なんか見つけると、子供の頃の新鮮な気分を思い出してなんか楽しくなってくる。 いくつになったって世の中にはまだまだ知らないことがたくさんある。 大人になるといろんなことを決めつけてしまうので大切な何かを見逃してしまう。 そうならないように、せっかくの人生を何でも楽しむように心がけることにした。 まだまだいろんな発見をして人生を楽しみたいと思ったが、人間の寿命は限られている。 なの...

みゃんこに伝えたかった大切な言葉

イメージ
みゃんこに伝えたかった大切な言葉とは……。 もちろん、 「ありがとう」 である。 我が家に来てくれてありがとう。 楽しい時間を提供してくれてありがとう。 寒い夜にいっしょに寝てくれてありがとう。 人間関係で悩んでいるときに癒してくれてありがとう。 そして自分が死ぬまで忘れられない楽しい思い出をくれてありがとう。 ありがとう……。 悲しみと後悔と寂しさ 長くいっしょに過ごした時間が長ければ長いほど、その時の衝撃ははかり知れない。 今までの楽しかった思い出の分だけ悲しみが襲い掛かかってくる。 どんなに愛情を注いでいたとしても後悔しかない。 ああしてあげれば良かったとか、こうしてあげれば良かったとか、その想いで胸が押し潰されそうになる。 思い出さないようにしていても、突然思い出しては涙を流す……。 そして、家に帰っても、もうみゃんこはいない……。 出迎えてくれないのは分かっていても一度だけ名前を呼んでしまう。 そのとき、寂しいのか悲しいのか悔しいのか分からない感情がこみ上げて来てどうしようもなくなる。 時間に解決を任せる 自分もいつか死んでしまうのにいつまでもふさぎ込んではいられない。 どんなに辛くても前を向いてやる気をだして生きていかなければならない。 自分の人生をここまで支えてくれたから、ここまで来ることができた。 その時間を無駄にはできない、だから歩みを止める訳にはいかない。 時間がたつにつれ、少しずつだが現実を認められるようになってきた。 心に空いた穴も徐々に塞がってきている。 本当に時間しか解決してくれないと思うのでまかせてみようと思う。 楽しくて懐かしい思い出となり、笑いながら大切な言葉 「ありがとう」 と言える日まで。 みゃんこの正式名称は「キラ」というが、家族が付けたその名前が気に入らなかったのでいちどもその名前で呼んだことがない、いつも「みゃんみゃん」と呼んでいたのでみゃんこになった、たぶん、自分の名前はみゃんみゃんだと思っていたかもしれない。 投稿:2021.3.15 月曜日

選択が形作る人生~自分の意志で未来を築く

イメージ
人生は無数の選択の連続であり、その選択は朝に目が覚めた瞬間から始まり、夜眠りにつくまで続く。 これまでの人生を振り返ると、無数の選択をしてきた、というより、選択せざるを得なかったと言えるかもしれない。 どの道を選ぶか、何を優先するか、行くか行かないか、するかしないか、それらのすべてが選択であった。 選択の積み重ねが人生と呼ばれるものであり、その結果が今の自分を形作っている。 だからこそ、他人の意見や環境に流されて選択を行い、その責任を他者に押し付けてしまうと、せっかくの人生がつまらないものになってしまう……というかもう自分の人生じゃないような気もする。 もちろん、人生においては外部の要因が大きな影響を与えることもある。 経済状況、環境、健康、社会の期待など、自分だけの意志ではどうにもならないことも多い。 しかし、どんなに外部の要因が強く影響したとしても、最終的に選択を下し、その結果を受け入れるのは自分自身であることを忘れてはならないならない。 時には家族や友人、社会の期待に答えるために、自分の意志を曲げることもあるかもしれない。 それ自体が悪いことではないし、時にはそれが自分の成長や幸福に繋がることもあるだろう。 ただし、自分の本心に反する選択をすると、後悔や不満が生じる可能性が高くなる。 だからこそ、選択をする際には、自分の心の声に耳を傾けることが大切である。 人生の道のりは決して平坦ではなく、選択の結果が予期せぬ方向に進むこともあるだろう。 それでも、その経験が自分を成長させる糧となり、後悔や不満を抱くのではなく、自分の選択に誇りを持つことで、充実した人生を送ることができる。 選択の結果は、必ずしも遠い未来に現れるとは限らない。 日常の小さな選択は即座に結果が現れることもある。 だからこそ、日々の選択が未来を形作るという意識を持ち、瞬間ごとの選択にも責任を持つことが大切だ。 過去の選択を悔やむこともあるだろうが、それを糧にして成長することで、これからの選択がより良いものになり、自分だけの未来を築いていける。 人間は、他人の人生を生きるためではなく、自分の人生を生きるために生まれてきた。 しかし、これは必ずしも個人主義を推奨するものではない。 他者との関係性を大切...

心がザワザワする理由~感情と心臓の関係とは

イメージ
将来に起こりうる嫌なことを予想するだけで、胸の中心、心臓のあるあたりがなんだか苦しく感じられることがある。 これは、心配や不安を抱えているときに、多くの人が共通して経験する感覚なんじゃないだろうか。 もちろん、その感じ方は人それぞれだと思うけど、自分の場合は「ザワザワする」という表現がいちばんしっくりくる。 子供の頃なんかは、「心臓に心があるから、こうなるんだろう」なんて思っていた時期もあった。 たしかに「心臓」っていう漢字も、「心」と「臓器」の「臓」が組み合わさってできてるし、そんな発想を強めていたのかもしれない。 でも実際には、感情って脳で処理されているんだよね。 感情が生まれると、それに連動して自律神経系の反応が起こる。 自律神経系には「交感神経」と「副交感神経」があって、この二つが心臓の動きや血圧の調節に大きく関わっている。 たとえば、ストレスや恐怖のような強い感情が湧いたときには、交感神経が活発になって、アドレナリンやノルアドレナリンが分泌される。 それによって心拍数が上がり、血圧も上昇して、心臓がドキドキしたり、締めつけられるような感覚になったりする。 逆に、リラックスしているときは、副交感神経が優位になる。 その結果、心拍数は落ち着いて、呼吸もゆったりし、心臓の動きも穏やかになる。 深呼吸や瞑想、ぬるめのお風呂にゆっくり入ることなんかは、副交感神経を優位にしやすいとされていて、実際、心身ともに落ち着く感覚が得られやすい。 こうして感情が脳から自律神経を通じて心臓に影響を与えることで、「心臓が感情を感じている」ような不思議な感覚が生まれてくるんだと思う。 特に、交感神経が優位になったときには、心臓が刺激されすぎて「ザワザワする」といった違和感を持つこともある。 逆に、副交感神経が働いてリラックスしているときには、「フワフワする」とでも言うような、軽やかな心地よさを感じる瞬間もある。 こうした心臓の変化はすべて、自律神経が関わっている証なんだと思うと、人間の体って本当によくできているなと感心する。 とはいえ、感情の波が激しすぎたり、ストレスを慢性的に受け続けたりすると、自律神経のバランスが崩れてしまうこともある。 ...