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初詣でのお願い事が叶わない理由を考えてみた

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毎年、神社に初詣に行って神様にお願いごとをしているんだけど……これまでにこれといった御利益を授かった記憶がないんだ。 👀「もしかして、とんでもないお願いごとをしているんじゃないの」 誰でもするようなお願いごとだと思うんだけど、幸福になりたいとか、幸運になりたいとか、自由になりたいとか、健康でいたいとか、裕福になりたいとか、その他もろもろって感じ。 👀「ずいぶん欲張りな気もするけど」 だから、なぜ御利益がないのかをいろいろ考えてみたけど、もしかしたら納める金額が少なかったから、のような気がするんだ。 👀「いや~、なんか金額がどうのこうのではないような気がするけど」 これまでには、一円玉、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉などの硬貨を、その時々の気分によって納めてきたんだけど、なんの変化もなかったんだ、そんなこともあり、もしかしたらもっと高額だったらご利益があるかもしれないと思い、硬貨の中では最高位の五百円玉を意を決して昨年の初詣に納めたんだ。                        👀「意を決してって……」 それなのに、願い事は叶わなかった……。 👀「だから、違うと思うんだけど」 そんなこともあり、五百円玉より高額なお金となるともう紙幣しか存在しない。 👀「えっ、まだ金額だと思ってんの」 紙幣には千円札、五千円札、一万円札の三種類があるけど、あれ、二千円札とかっていうのもあったような、そういえばしばらくの間見たことがないけど流通してんのかな。 👀「二千円札、なんか懐かしい、そういえば五百円札もあったね」 なので、やっぱり初めて紙幣を納めるんだから紙幣初心者は千円札から始めることにしたんだ。 👀「そうだったんだ、でも、給料は上がらないのに税金が上がり、追い打ちで物価が上昇して大変なこのご時世に、紙幣を賽銭箱に納めるのは凄い勇気がある行動だと思うよ」 あっそれも願い事に追加しないと、給料が上がりますように、税金が下がりますように、 そして物価も下がりますように、と。 👀「ところで、もしそれでも願い事が叶わなかったら来年は五千円札、それでもだめだったっら再来年は一万円札になっちゃうけど……」 いや、紙幣を納めるのは今年が最初で...

信じるという言葉の意味を探してみる

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世の中には「信じる」という言葉がある。 とても大切な言葉なのだが……なんとなく違和感を覚える言葉のひとつでもある。 その理由は、「信じる」という言葉が、科学的に証明されない事柄や、未知の領域に対して使われることが多いからである。 「信じる」という言葉の意味を調べてみると「その事柄をまったく疑わずに本当のことだと思うこと」だということなっている。 これは「当たり前」という言葉の意味と似ているようでいて、微妙にニュアンスが異なる。 よく理解されているものには「当たり前」という言葉が使えるが、よく理解されていないもの、つまり「当たり前じゃないもの」に対して使うとき、「信じる」という言葉が登場してくる。 例えば、死後の世界やパラレルワールド、神様や宇宙人、占いや予言など、科学では証明できないものに対して「ある」や「いる」や「当たる」という肯定の言葉と共に使われていることが多い。 「死後の世界は 有る と信じる」 「神様は いる と信じる」 「占いは 当たる と信じる」 こうしてみると「信じる」という言葉には強い力があるように感じるが、よく考えれば、単なる「思い込み」であることも多い。 「信じる」=「思い込み」 ただ、「信じる」という行為は単なる思い込みだけでなく、強いエネルギーとなりうるものだ。 肯定しながらその結果が訪れることを願う、つまりその事柄がうまくいくという強い意志が、「信じる」という言葉の裏側にはある。 「良い結果になることを信じる」 「悪い結果にならないことを信じる」 何かを信じるとき、我々はその事柄がうまくいき、自分の救いとなり、利益となる方向に進めるよう願うものだ。 そして、「そうなるのだ」という強い確信へと育てていく。 そう考えれば、「信じる」という言葉は単なる思い込みではない。 強力なモチベーションとなり、人生を前へ進めるエネルギーとなる。 だからこそ、自分自身を信じることができれば、目標に向かう力が湧いてくるし、自身を肯定できれば人生の様々な困難も乗り越えやすくなる。 「信じる」という言葉は、自信の成長や人生の方向性を切り拓くちからとなる、ものすごい意味と価値を持つ言葉なのだ。 投稿 2023.1.5 木曜日