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7月, 2021の投稿を表示しています

騙されないために意識する「仮置き」

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スポンサーリンク 騙されるとは嘘をつかれることである。 嘘をつかれ陥れらることであり、騙されてしまうとお金や物・時間まで失ってしまい、最終的には心にまで大きなダメージを受けてしまう。 腹が立つのと悔しいのと愚かさで心がいっぱいになってどうしようもなくなる。 騙されて被害にあい、精神的苦痛を受けないためにはどうすればいいのか?。 やっぱり自分以外の人間をむやみに信用したり信頼したりしないこと、それしかないと思う。 かといって誰も信じたり頼ったりしなければ、人間社会を生きていくのが困難になってしまう可能性もある。 人間はひとりでは生きていけない。 なので、騙されても影響がないと思われる範囲、自らがリスクを負っても致命的なダメージにならない範囲を予め設定しておく。 それ以外は「仮置き」をするように習慣づける。 仮置きとは、誰かに言われたことやメディアから知りえた情報を頭の中に一時的に置いておき、すぐには信じたり信頼したり、果ては行動に移さないようにすること。 信じるのではなく、そういうこともあるかもしれない程度の記憶にとどめておく。 すると、自分以外のすべての人間が発している情報などは鵜呑みにしなくなる。 どうでもいいことは忘れてしまっても構わないが、気になるようなら信憑性を確かめる。 いろんな人間に聞いてみたり、ネットで検索してみたり、本で調べてみるなどして同じ答えがあったのなら正解に近いと思う程度でいいと思う。 自分以外の人間が作り上げた虚構など、信じるに値するかどうかの判断は最終的には自らが決めなければならない。 誰かが言っていたから、誰かに勧められたからと、他人のせいにしていたらいつまでも同じ過ちを繰り返すことになる。 信じると決断したのは紛れもなく自分自身だということを忘れないようにする。 自分以外の人間やメディアに騙されたことがあるなら、まずは情報を頭の中に「仮置き」してみる、その後に信憑性をたしかめる、そして安心してから行動するようにすれば、騙されたということは極力少なくなると思う。 それでも人間関係では様々なことが起こりえる。 何かを頼まれたら、そのリスクを背負う覚悟がなければ引き受けてはならない。 特に、しつこく進めてく

会社を辞めると言った人間を引きとめてはいけない理由

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スポンサーリンク ほとんどの人間は会社などに勤めていると思う。 その会社を辞めるときは、それ相応の理由と覚悟があるはずである。 にもかかわらず、世の中には会社を辞めると言っていたのに何事もなかったように仕事を続けている人間がいる。 なんとなくだけど、けっこうな割合でどこの会社にもそういう人間がいるような気がする。 いったいどうしてなのか?。 会社を辞める理由はいろいろあると思う。 収入面や体調の問題、人間関係の煩わしさ、独立する、引っ越しや家業を継ぐなどの環境の変化、ただ単に仕事が嫌など様々な理由がある。 あと、なにもかもめんどくさくなったときとか。 人生に疲れたってのもあるかもしれない……。 普通は辞めると決断したのちに責任者や上司に報告したり、もしくはいきなり退職願を提出するのかのどちらかだと思う。 バックれるのも、あるかな……あっ、あと退職代行サービスに頼むとか。 しかし、世の中には辞めると言ってからもなぜか継続して働いている人間がいる、いったいなぜなんだろう?。 たぶん、辞めると報告したのちに会社側の人間から辞めないように説得されたと思う。 収入に関するなら賃金アップ、仕事に関するなら環境改善、人間関係の悩みなら部署を変えるなどの条件を出されて交渉した可能性がある。 その条件に納得したからこそ、辞めることを取り消したあとに継続して働いていると思う。 ここまでは会社と当人のことなので、双方が納得しているなら特に問題はなさそうである。 しかし、この後に人間関係の問題が発生する要因になってしまうことがある……。 要は辞めるといったにもかかわらず辞めなかった、ということは当人が出した辞めない条件を多少の駆け引きの末に会社側が了解したことになる。 なんとなくだが、欲しい物があって親に駄々をこねたら買ってもらえた子供、と同じような感じがする……。 なぜなら、辞めると言う前に会社側に相談して改善を促すのなら分かるが、辞めると言ってからというのがなんか、辞めると決断した意志はどこ行ったのって感じ……。 もしかしたら最初から辞める気なんてなかったとか……。 そして、だだをこねれば欲しいものが手に入ると思う子供と同じように

恥ずかしい感情というのは人間だけにあるの?

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なんか、恥ずかしい……。 👀「はあ?いい歳こいて何恥ずかしがってんの!」 子供の頃はいろんなことで恥ずかしいって感じてたけど、大人になってからも恥ずかしいって感じることがたくさんあるんだ。 👀「へぇ~そうなんだ」 そういえば、他の生き物に対して恥ずかしい気持ちになったことはないし、他の生き物が恥ずかしがってたのを見たことがないんだけど……。 👀「確かに、恥ずかしがっている生き物は見ないね」 ということは人間にしか持ち合わせていない人間特有の感情ということになる。 👀「う~ん、そうかも」 そして、人間が社会で生きていくために必要不可欠な大事な感情のような、そんな、そんな気もする。 👀「大袈裟だな~なんかこっちが恥ずかしくなってきた」 ひとりひとり違う感情 いつも思うんだけど、人間の感情くらい不確定で不安定なものはないと思う。 そして、他人と自分の感情の感覚が本当に同じようなのかはハッキリ言って分からない。 なので、顔の表情や言動から推察し、これまで経験したことがある自分の感情の感覚と照らし合わせてから、たぶん同じだろうと判断するしかない。 この感覚のズレが人間関係を煩わしくしている原因かもしれないけど……。 なので、自分が感じる恥ずかしいという感情と、他人が感じる恥ずかしいという感情が本当に同じような感覚なのかは分からないので、自分の経験した感覚から考えてみるしかない。 👀「おおっ!」 価値観を植え付けられる 子供の頃の記憶を思い返してみると、う~ん、家族や周りの人間からこういうことは恥ずかしいことだと言われてから恥ずかしいと感じるようになったのか、それとも自然に恥ずかしいと感じるようになったのかは思い出せない、ていうか覚えていたら凄い。 なんとなくだけど、人間社会という集団の中で生活するための最低限のルールみたいなものがあって、こういうことは恥ずかしいこと、という家族や周りの人間の持つ価値観を植え付けられてから、のような気がする。 たぶん、そうだと思う。 なので、このころに恥ずかしいの基礎的なものができあが

否定から入る人間と会話をすると訳が分からなくなる

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スポンサーリンク たあいもない会話でも、マウントを取ろうとしてくる人間やマウントを取ったと思い込んでいる上から目線のどうしようもない人間は、他の人間に対してある共通の否定する言葉を発していることに気づいてしまった。 それまでは何となく違和感のようなものは感じていたが、マウントをとりに来たりマウントをとってあるからこそ使われるその言葉とはいったいどんな言葉なのか……。 会話をしている最中で、こちらの話を聞いた直後、冒頭に口癖のような感じで、 「違う」 や 「でも」 や 「いや」 という否定する言葉を付けてくる人間がいる。 こちらの言った内容が間違っていたなら、 「それは」 や 「これは」 や 「あれは」 という言葉を冒頭に付けて正解や自らの考えを言えばいいだけなのに、わざわざ否定してから正解や考えを言ってくる。 別に気にしなければいいことだけど、気になりだすと腹が立って話もしたくなくなる。 そして、そういうふうな人間は普段からも嫌味を言ったり、陰口を言ったり、愚痴を言ったり、わざと反対のことを言ったりするとてつもなく厄介でめんどくさい人間だったのである。 もうこの時点で関わりたくはない人間のひとりに数えられる。 そんなもの気にしなければ気にならないが、気になりだすと会話をする気さえも失せてしまい気分までも悪くなる。 そして、大切なやる気さえも失われてしまう……。 聞いている方の人間はいちいち否定されているので、知らないうちに自尊心が削られたり、ストレスが蓄積されて心身が蝕まれる可能性もある。 最終的には人間関係が悪化する要因にもなると思う、っていうか、もうアウトである。 こういう人間と会話をする時の注意点は、話の内容を否定しているのではなく、会話の相手自身を否定して優位性を誇示し、マウントを取るためだけが目的の場合もある。 もちろん信憑性など、ある訳がない。 優位性を誇示するためだけの、マウントを取っている時の話を鵜呑みになんてしてしまうと大変なことになる可能性がある、特に仕事関係などでは注意が必要。 この前言ったことと今回言ったことが違っている、ということもあったので訳が分からなくなってしまったこともある。 挙げ句の果てに「この前の話と違う」なんて指摘して