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「実力」と「運」の関係性を見直してみる

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「運も実力のうち」という諺を初めて聞いたとき、少し違和感のようなものを覚えてしまった。 運と実力は全く別のものであると感じていたのに、どうして運が実力に含まれてしまっているのだろうか……。 そもそも運とは「その人間の意志や努力ではどうしようもない巡り合わせ」を指している。 つまり、どれだけ頑張っても人間の力では変えることができないものが運である。 しかし、それでも「運を味方につける」や「運を引き寄せる」といった表現は、まるで自分の力でどうにかできるかのように語られている、これは矛盾しているように思う。 では、なぜ運を実力の一部とみなしてしまうのだろうか?……。 もしかすると、他人が成功を収めた時に、その成功を運が良かったからと片付けてけてしまうのは、嫉妬心や他者の努力を認めたくない気持ちが影響しているのかもしれない。 成功した人がいくら努力し、才能を発揮していたとしても、外から見るとその努力が見えにくい時がある。 そのため、運がその成功の主な要因であるかのように思い込んでしまうのかもしれない。 しかし、ここで重要なのは、運が全く関与しない成功が存在するのか、という点である。 成功者の中には、確かに運が味方したことで結果を出した人間がいるかもしれない。 しかし、多くの場合、その背後には長年にわたる努力や計画があり、偶然の要素だけで成功することは稀である。 さらに、「運も実力のうち」という言葉には、自己啓発的な意味合いも含まれているように思う。 つまり、たとえ運が関与する状況であっても、自分の努力や心構えがそれを引き寄せるのだ、という考えもあると思う。 この視点に立てば、運を味方につけるためには自己成長が不可欠だというメッセージが込められているのかもしれない。 ただし、この考えにもリスクがある。 運という要素はコントロールできない以上、それに依存するのは不確実性を高める行為だ。 だからこそ、自分の努力や才能を信じ、それに基づいて行動することが成功への最も確実な道だと言える。 また、最近の心理学の研究では「運の捉え方」が人の行動に影響を与えることが示されている。 例えば、自分の成功をすべて運のおかげだ...

会話中に「絶対」という言葉を使う人間の信憑性

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言葉は人間にとって非常に重要なコミュニケーションツールである。 しかし、その中には理解しがたい概念も多く含まれている。 例えば「無限」や「永遠」という言葉は、時間や空間に限界を持つ人間には、無限の広がりや終わりのない状態を完全に理解することは困難である。 数学や哲学において、「無限」は特定の文脈で使用されるが、それでも直感的には捉えにくいものである。 詳しくは 無限とか永遠っていったい何なの? を参照。 また、理解しがたい言葉の中に「絶対」という言葉がある。 かつて、知人が「絶対というのは絶対にない」と言っていたことがあった。 その時は、その言葉の意味が良く分からなかったし、考えるだけ無駄なことだと思っていたので、「ふ~ん」て感じで相手にもしなかった。 しかし、後になって思い返すと、それは単に「絶対」という言葉の信憑性に対する疑念を示していたのではないかと感じるようになった。 日常会話で「絶対」を使う人々は、自分の意見や主張を強調するためにこの言葉を使うことが多い。 例えば「絶対に成功する」とか「絶対に失敗しない」といった具合である。 しかし、実際には「絶対」という言葉を使う人間の言葉がそのまま現実を反映するとは限らない。 「絶対」という言葉は、しばしば他人を納得させるためやその場を取り繕うために使われることがある。 また、詐欺的な勧誘や誤解を招く広告で「絶対に儲かる」などといった表現が使われることもあるので、注意が必要である。 今考えてみると、「絶対というのは絶対にない」という言葉は、むしろ人間無が使う「絶対」という言葉ほど信頼できないものはない、という警告を含んでいたのかもしれない。 確かに人間の言う「絶対」というのは論理的には「絶対」であることは稀である。 だからこそ、「絶対」を多用する人間の言葉を鵜呑みにするべきではない。 ちなみに「絶対」の定義を調べてみると、「他に比較するものや対立するものがなく、何ものにも制約・制限されないこと」となっている。 この定義は、ある種の理想や抽象的な概念に近く、人間が軽々しく使うのは適切ではないと言えるかもしれない。 イラスト:「イラストAC」chappy05 投稿:2021.5...

哲学っていったい何の為にあるんだろう?

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これまでの人生で、いくつもの問題に悩まされてきた。 人間関係や将来の不安、お金の問題など、悩みは尽きることがなく、解決できたこともあれば、今なお抱え続けている悩みも数多くある。 そんな中「悩んでいる自分とはいったい何者なのか?」という疑問が、ふと頭をよぎることがあった。 ある日、友人に「なぜ自分はこんなに悩んでいるのだろう?」と尋ねたところ、彼が一言「それは哲学というものだ」と言ったのだった。 それまで、哲学なんて自分には関係ないと思っていたし、興味すら持ったことがなかった。 しかし、その言葉がきっかけで「哲学とは何か?」を知りたいという気持ちが芽生えたのである。 調べてみると、哲学とは「あらゆる物事の根本原理を追求する学問」と定義されていることが分かった。 「根本原理」や「追求」という言葉から、やはり哲学は学問だという印象を受けた一方で、実はそれだけでなく、我々の世界や人生についての深い考察や、経験に基づく世界観や人生観まで含んでいることが分かった。 哲学とは、なぜ生きるのか、何が正しいのか、世界はどう成り立っているのかという根本的な問に答えを探すものである。 日常生活の中で、我々は多くのことを当たり前だと受け入れているが、その背後にある本当の意味を考えたことはあるだろうか?……。 善悪の基準、社会のルール、科学の真理、これらは一見当たり前のように思えるが、哲学はその「当たり前」を見つめ直し、より深い理解を追求する。 哲学の重要な役割のひとつは、物事をさまざまな視点から捉える力を養うことである。 その当時、もっと哲学のことを知りたくなり、何を読めばいいのか分からないまま「ソフィーの世界」という哲学入門書を手に取って読んでみた。 前半は興味深く読めていたが、後半になると難しさに混乱してしまったことを覚えている。 それでも、この本を通じて、物事を深く追及する哲学的な思考に触れられたことは、大きな学びとなった。 また、哲学の歴史を知ることで、人類が長年抱え続けてきた問いや、それに対する答えを知ることもできた。 哲学は単なる知識の取得手段ではなく、自己の理解を深め、人生の方向性を見つけるための道具でもある。 自分や世界についての疑問を解決する助けとして、哲学は今の自分にとって大きな意味を持つようになっている。 たとえ明確な答えが得ら...