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「実力」と「運」の関係性はないと思っていたけど…

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「運も実力のうち」という諺がある。 初めて聞いた時から、なんとなく違和感のようなものを感じていた。 運と実力はまったく別物のような気がするのに、実力の中に運が入ってしまっている。 「運」というものはそんなもんじゃないはずである……。 でも、もしかして間違って意味を覚えているかもしれないので調べてみたら……。 運とは「その人間の意志や努力ではどうしようもない巡り合わせ」となっている。 やっぱり、人間ではどうすることもできないことが運だった。 ということはなぜ、どうすることもできないものを実力に組み込んでしまったのだろう。 う~ん……いちおう考えてみたけど……。 なんとなく思ったのだが、実力のある人間が何もかもうまくいっていることが、他人からみると運までも味方につけているように感じらるから、かもしれない。 実際にその人間が揺るぎない意志と血の出るような努力をして結果を出していたとしても。 他人から見れば、あいつは運がいいから、となってしまっていると思う。 逆に本人はそうは思ってはいないだろうけど。 それに、こういう諺があるということは自分の能力以上のものを味方につければうまくいく、それは自分次第で何とかできるという思い込みもあると思う。 なのでこの諺は自己啓発のようなものだと思った。 調べていくうちに、いろんな人間がこの諺に対して考察していることが分かり、いろんな考えを知ることができた。 やはり自分と同じで、運の意味を知っているけど何か違うんじゃないか、もしかして何か因果関係があるのではないか、とか。 ここで他の人間の考察を知らなければ、未だに運と実力は別物だと唱えていたかもしれない。 でも、解釈は人それぞれなので、自分で考えたり感じたりしてそれでいいと思ったことはそれでいいと思う。 だって世の中は虚構でできているんだから、いちいち疑っていたらキリがない。 最後に、本当の運とは人間ごときじゃコントロールできないという事柄だけは忘れないようにしたい。 運を味方につければ何とかなるとかっていう触れ込みがあるけど、そんなものを鵜呑みにしないことが大切だと思う。 イラスト:「イラストAC」mine 投稿:2021.5.2

「絶対」という言葉を言う人間の信憑性

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言葉は人間にとって非常に重要なコミュニケーションツールである。 しかし、言葉の中には「無限」や「永遠」といった理解しがたい概念も含まれている。 そして「絶対」という言葉もそのひとつだと思っている。 かつて「絶対というのは絶対にない」と言い切る人間がいた。 この言葉を初めて聞いたときは意味がよく分からなかったので、別段気にもとめなかったし、考えるだけ無駄な意味の無い言葉だと思っていた。 後になって、もしかして人間が会話で使う「絶対」という言葉の信憑性のことを指しているんじゃないかと思うようになっていった……。 日常会話で「絶対」を使う人々は、自分の意見や主張を強調するためにこの言葉を使っているような気がする。 例えば……。 「絶対にある」とか「絶対にない」とか……。 「絶対にする」とか「絶対にしない」とか……。 「絶対にいる」とか「絶対にいない」とか……。 「絶対に言った」とか「絶対に言わない」とか……。 そして、「絶対に儲かる」とか「絶対に儲からない」とか……。 しかし、これまでの経験では「絶対」と言い切る人間の言葉ほど信憑性が低いことが多いと感じている。 この言葉はしばしば、場を取り繕うためや相手に対する優越感を示すために使われることもある。 また、詐欺まがいの話で「絶対に儲かる」といった言葉が使われることもあるので注意が必要である。 今思うと、「絶対というのは絶対にない」の本当の意味は、人間が言う「絶対」という言葉ほど当てにならない言葉はないってことを言いたかったのかもしれない。 確かに人間の言う「絶対」というのは「絶対」ではないと思う。 なので「絶対」を多用する人間の言葉を鵜呑みにしてはいけない。 そうすれば、いくらかは人間関係のストレスが減るし、いちいち惑わせられなくて済むと思う。 ちなみに「絶対」の意味を調べてみると、他に比較するものや対立するものがなく、何ものにも制約・制限されないこと、となっている。 なんかもう、神様の領域なのでは……。 人間がおいそれと使うのは、なんか、おこがましい気もする。 イラスト:「イラストAC」chappy05 投稿:2021.5.20 木曜日

哲学っていったい何の為にあるんだろう

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これまでの人生で、さまざまな問題に悩んできた。 人間関係、将来の不安、お金のことなど、悩みは尽きなかった。 悩み、考え抜いて解決したこともあれば、まったく答えが見つからなくて今だに悩んでいることもたくさんある。 こんなに悩んでいる自分とはいったい何者なのか、悩んでいる自分の存在自体に悩むようになっていった。 苦しくなってどうしようもなくなったある日、友人に、なぜ悩んでいる自分というものが存在しているのか、という悩みを話していたときに、それは哲学というものだ、と言われた記憶がある。 それまでに哲学といものは自分の人生には関係ない事柄だと思い込んでいたので、意味すら知ろうとしなかった。 そんなこともあり、哲学とはいったい何なのか、ということの意味をやる気を出して理解するために調べてみることにした。 それは、「あらゆる物事の根本原理を追求する学問」となっていた。 根本原理?……追求?……やっぱり「学」ってつくから学問なんだ……。 それは、世界や人生に関する深い考え方や、経験に基づいた世界観や人生観まで含まれているらしい……。 その悩みを少しでも解決できる可能性がある哲学というものをもっと知りたくなったので何冊か哲学の本を読んでみた時期もあった。 その中でも特に印象に残っているのが「ソフィーの世界」という本。 前半まではそうかなるほどって感じで面白かったのだが、中盤以降からは訳が分からなくなってしまった。 それでも、物事を深く追求していく考え方を知る機会にはなり、勉強になったとは思う。 また、哲学の歴史を学ぶことで、人類が長い間抱えてきた問いやその答えを知ることができたのも大きな収穫だった。 そのうち人知を超えた人工知能が開発されシンギュラリティが到来すればいままでの難問や謎が解決されたり、人間では到底思いつかない新しい考えが生み出されれば、人間は悩んだり考えなくて済む未来が来るかもしれない……。 そのときに哲学というものが存在しているかどうかは分からないけれども。 それでも、現在の自分にとっては、哲学が自分の悩みや疑問を解決する手助けになっていることは確かだと感じている。 イラスト:「イラストAC」ぽのぽの 投稿:2021.5.