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温かだったみゃんこ

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スポンサーリンク 真冬の寒い夜……。 風の音と遠くで木の枝が何かに擦れる音が重なり合い、外は凍えるくらい寒いというのは部屋の中からでも感じ取れる。 そんなとき、遠くから鳴き声が聞こえてきた。 その鳴き声はだんだん大きくなってくる、鳴きながら移動しているらしい。 鳴き声の主は我が家のみゃんこである。 まったく……こんな真夜中までいったいどこをほっつきあるいていたのか……。 何処かに遊びにいくといつもこんな感じで帰ってきていたのを思い出す。 みゃんこが二階の窓から自由に行き来できるように鍵は掛けないようにしていた。 閉まっている窓を前足で開けることができたので、入るときも出ていくときもみゃんこの自由のはずだったが、遠くから鳴きながら帰って来るときは何故か窓の前にいて、自ら窓を開けて入ってはこなかった。 窓のそばにいるのは分かっているので呼んでみても、ささやくように鳴くばかりでいっこうに部屋に入ってこない。 寒いので眠りにつこうとしていた時とかはベッドから起き上がってまで窓に行くのはめんどくさかった。 いつまでも鳴いているからしょうがないのでベッドから起き上がり、窓を少し開けてあげる、それでも部屋に入ってこないで鳴いている。 「ほらっ、寒いから早く」と声を掛けると何故か申し訳なさそうに部屋に入ってきた。 寒いので窓を閉めてベッドに戻る。 それからみゃんこは毛繕いモードに突入する。 しばらく経つとベッドの横で温かい布団の中に入りたいと鳴き始める。 勝手に布団の中に入ってこればいいのに、なかなか入ってこないで鳴くばかり。 しょうがないのでまた「ほらっ、寒いから早く」と声を掛けるとやっと布団の中にもぐりこんできた。 最初は冷え切った体が冷たいと感じるが、すぐに温かくなる。 そして、双方があったかポッカ状態になる。 今思うと、その時が最高に幸福なときだったと感じる。 あの温かさが掛け替えのない命、そのものだった……。 同じような真冬の寒い夜に、風の音と遠くで木の枝が何かに擦れ、重なり合う音が聞こえてくると、そのことを思い出してしまい、とてつもなく寂しくなる。 でも、当時のことを思い出すと心は何故か温かくなる。

「どこに行っても自分がいる」という言葉の意味

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どこで、いつ、だれからこの言葉を聞いたのか、それとも何かのメディアで見たのかは忘れてしまったが、特定の条件を満たすと「どこに行っても自分がいる」という言葉が脳裏に浮かぶ瞬間がある。 その条件とは……それは、嫌な気分になってから、いつまでも切り替えができなくて、どこに行っても何をしても、楽しくないときである。 初めて知ったとき、あまりにも当たり前のことだと思い、当初は本当の意味を理解することができなかった……。 しかし、時間がたつにつれだんだんと意味が分かるようになってきた。 この自分とは、自身の心のことであり、どこに行っても体といっしょに心もついてくるということ。 正確にいうと心の状態、気分のことである。 気分が良いときはどこに行っても気分が良く、気分が悪いときはどこに行っても気分が悪いということ。 なので、楽しめる場所に気分が悪いまま行っても楽しめないし、楽しくない場所に行っても気分が良ければ楽しめるかもしれないということ。 人間は自身の気分次第で、ものの見方が変わってしまう。 気分が良ければ多少のつまらないことも大目に見れて楽しめるかもしれないが、これが気分が悪いと些細なことでも勘にさわり余計つまらなくなる。 本当は楽しい場所かもしれないのに、つまらないということだけが記憶に残り二度と足を運ばなくなるかもしれない。 人生とは楽しいものだといつも思っていればどこに行っても何をしても楽しいし、人生はつまらないものだといつも思っていればどこに行っても何をしてもつまらないものになってしまう。 要は心の持ち方で人生そのものが変わってくるというのが本当の意味だと思う。 なので最低でもフラットな心の状態、もしくは穏やかな心の状態を維持できればもっと世の中が良くなって見えるのでは、と思ったけど、う~ん、やっぱり無理かな、それができないのが人間なんだと思う。 でも、楽しくしようと意識して生きていけば、どこに行ってもやる気を出して新たな楽しみを見つけることができれば、有意義な人生を送ることができるようになれるかもしれない。 イラスト ちょこぴよ 投稿:2022.1.20 木曜日

過去や未来に翻弄される日々

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スポンサーリンク 誰でもみんな過去か未来のことを考えていると思う。 世の中には、今この瞬間に今この瞬間のことを考えている人間もいるかもしれないけど……。 過ぎ去った過去は捉え方次第でどうとでもなるって聞いたことがある、過去は捉え方次第で変えられるとかってことだけど、人間はそんなに単純じゃない。 今が幸福なら、過去に起きた、はらわたが煮えかえるような出来事でも許すことができるかもしれないが、今が不幸なら絶対に許せないだろう……。 逆に、今が幸福なら明るい未来がやってくるように思えるが、今が不幸ならお先真っ暗だと思ってしまう……。 こんな感じで、過ぎ去った過去や、まだ来ない未来に毎日翻弄されている。 いくら今この瞬間を楽しみたい、と思っていても勝手に湧いてくるのでどうしようもない。 何とかしないと……。 でも、どうすることもできないと思う。 人間に過去や未来のことを考える能力があるかぎり、過去を悔やんだり未来に不安をいだくのはしょうがない、なので諦めるしかない。 でも、今が幸福な状態なら過去を美化したり、未来に希望を持ったりすることも可能なのでは……。 ということは、つねにやる気をもったポジティブな状態を維持すれば過去や未来への捉え方もよくなっていくのかもしれない。 平穏な心を維持するのがちょっと難しいけど……。 過去なんて絶対に変えられないので、捉え方を変えてみて美化してしまう。 未来なんてみんな行き着く先は同じだし、それが早いか遅いかだけである。 いずれ過去や未来に翻弄される日がなくなるときがくる。 それまでに生まれてきて良かったと日々感謝できるような人生を送りたい。 スポンサーリンク イラスト:はるかむぎ 投稿:2022.1.15 土曜日

人間はなぜ悩むのかを考えてみる

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人間は毎日、何かしらのことで悩んでいる。 目の前の問題から将来の不安まで、悩みが尽きることはない。 いつしか、こんなにも悩みばかり抱えていては、せっかくの人生がもったいないと感じるようになった。 そもそも、悩みっていったい何なんだろう。 思うに、選択肢があり、それぞれに同等の価値があって選べない状態、または選びたくない方を選ばざるを得ない状況だろう。 さらに、問題があって解決策が見つからない時にも悩みが生じてしまう。 特に嫌なことや、やりたくないことを選ばなければならない時が、いちばん悩む瞬間である。 そして、それを回避できないかと頭の中で一生懸命に葛藤している状態である。 悩みを解消する方法といえば、考え方を変える、勇気を出す、あるいは取り敢えず行動してみる、その程度しかない。 「当たって砕けろ」という諺もあるが、砕けたくないから悩んでいる。 また、誰かに相談するのもひとつの手である……相手は慎重に選ぶ必要があるけど……。 上から目線の人間には間違っても相談しないこと、ろくな答えが返ってこないので時間の無駄である、役に立たないアドバイスをしてくる人間よりも共感してくれる人間を選んで話を聞いてもらったほうがいいと思う。 共感とアドバイスの狭間 しかし、そうやってなんとか悩みを解決したとしても、すぐに次の悩みがやってくる。 つまり、人間は生きている限り悩みからは解放されないことになる。 なぜなら、全ての悩みは、人間がよりよく生きたいという欲望から生じるからである。 人間関係も同じで、他人より優位でなければならない思うからこそ悩む。 だから、悩まないようにしても悩んでしまうのは避けられない。 どうしようもないことはどうしようもないので、潔く諦めて選択肢なんてないことにする。 例えば、生きるか死ぬかで悩んでしまったら、どうせいつか必ず死ぬんだからそれまでは何があっても生きる、と決めてしまうのがいい。 将来のことを前倒ししてまで悩むのはなんかもったいないような気がするから……。 人生は苦しいのが当たり前、楽をしようと考えるから悩むのだと気づいてから、余計な選択肢のために悩むことが減ったような気がする。 やる気を出して一生懸命に生き、その時が来たら諦めて受け入れる。 必ず終わりが来る人生に執着しすぎず、「ありの