投稿

9月, 2021の投稿を表示しています

この世は理不尽でできている

イメージ
スポンサーリンク 世の中は何故こんなにも理不尽なんだろう。 それは、自分勝手な人間がいるからである。 他人のためになるようで、結局は自らの欲を満たしている。 誰かが理不尽に感じるのは誰かの自分勝手のせいだし、自分が我を通せば、誰かが理不尽に感じることもあると思う。 なので世の中は理不尽が支配しているのである。 ルール 自分が生まれる前からこの世には誰かが定めたルールが存在する。 家庭内のルール、学校のルール、会社のルール、社会のルール、そして人間としてのルール。 ルールを守って当たり前とされ、破ればバツがまっている。 それもルールである。 ルールに従うように子供の頃から刷り込まれて教育されてきた。 そのおかげで社会が成り立っているというのは理解しているつもりだが、なんか、ルールを定めた時に関与していないから一方的に押し付けられているようで理不尽に感じることも多い。 仕事 仕事上の人間関係こそ、理不尽の塊である。 こちらはフラットな人間関係を築きたいのに、マウントを取りに来る人間ばっかり。 毎日、腹が立ってしょうがない。 言い始めたらきりが無いし、それぞれ思いも違うのでどうしようもない。 理不尽の王道である。 冤罪 あってはならないことだが、今までも身に覚えのない罪を着せられて自由と時間と命を奪われてきた人間も存在していた。 今までもあったということはこれからもあるということ。 理不尽の域を超えている。 強いものが支配する世界 人間以外の生き物たちの世界は弱肉強食なので、捕食するものは捕食されるもののことなど考えない。 捕食されるものにとってはとてつもなく理不尽である。 ある日突然、お腹が空いた生き物から食べられて命を奪われるのだから……。 それが自然界のルールなんだと誰かが言ったとしても、言ったその人間が食べられる側だったらそんなことは言わないと思う。 他の命なら関係ないが、自らの命がかかわってくるとすぐさま手の平を返す人間の、このあたりの考え方がちょっと……。 命はかけがえのないものだというのは人間による人間のための虚構であり、他のたくさんの生命体には当てはまらないと思う。 ご都合主義な人

円状交差点のスムーズな通行法と注意点

イメージ
この円の形をした交差点は 環状交差点 とか、 ラウンドアバウト などと呼ばれている。 初めてこの交差点を通過したときは、なんて画期的な交差点なんだ、と思ったことを覚えている。 この 環状交差点 には、なんと…… 信号機 が存在しない、そして、 止まれ の標識すらも存在しないからである。 が、その代わりに路面に ゆずれ と書いてある、えっ、何をゆずるんだろう?……。 パッと見はたいしたルールがなさそうだが、いちおう安全に走行するためのルールが設けられている。 まず 環状交差点 に近づいたら左側によって徐行する。 交差点内で走行している車が優先になっているので、走行の妨げになりそうなら一時停止する。 そのための ゆずれ であった。 もちろん人や自転車などがいたら一時停止するか ゆずれ である。 交差点内は時計回りの一方通行なので、進入するときはウインカーは出さなくてもいいことになっている、なぜなら、一方通行だから、だが普通にウインカーを出して進入するドライバーも見かける。 たまにだが無意識に自分もウインカーを出して侵入しているときがある、交差点内は危険なので注意を怠らないようにしないと……。 そして進入した後は、出ていきたい方向にある道路の直前でウインカーを出し、交差点を出るまで点滅を継続させながら出ていく。 う~ん、スムーズだ。 と、思っていたが何度も通過していたら、なんかめんどくさいと思うようになってきた。 それはハンドルを切る回数。 左方向に行きたいときはまだいいとする、左にハンドルを切ってチョット戻してまた左にハンドルを切る、なれると特に問題はない。 ここからがめんどくさい。 直進方向に進みたいのに左にハンドルを切る、そして戻して今度は右にハンドルを切る、そして戻してウインカーを出して今度は左にハンドルを切って交差点から出ていく。 作業量が多過ぎる。 そして右方向に行きたいときも最初は左にハンドルを切る。 ここでくじけてはいけない、戻してから右に切る、そして出ていきたい道路までその状態をキープし、戻したらウインカーをあげて左にハンドルをきり脱出する。 ふぅ~疲れた。 このウインカーを出すタイミングがハンドルを戻して

欲を諦めて無欲になりたいと思うのも欲

イメージ
スポンサーリンク 欲とは、人間の体が求めるものや心が望むものであり、ひとりひとりの観念により望むものが違ってくる。 本能から発せられているので最終的には自分の命を守るためや、自分の精神を維持するために機能している。 体が求めているものは生命を維持するためなので何となく同じものが多いが、心が求めているものは人間の数だけ違うような気がする。 そして、欲があるおかげで人間は生きていくことができると思う。 いや、すべての生命体に共通していることだった。 そして、他の生命体と違い人間が社会で生きていくためには欲というものを、ひとりひとりがコントロールしていかなければならない。 窮屈に感じていたとしても、望むものが手に入らないとしても、夢が叶わないとしても。 必要不可欠な欲 欲とは、人間が生きていくには必要不可欠だということは、なんとなくは分かっている。 食欲が無ければ命を維持できないし、物欲が無ければ社会が機能しなくなる。 そして性欲が無ければ人類はいずれ絶滅してしまう。 しかし、それらの欲をコントロールするのは難しい。 なぜなら、人間だから、人間は欲の塊だから。 人間は本能をコントロールすることもできるが、本能に翻弄されることのほうが多いような気もする。 欲を諦めたとしても かなり難しいが、他人との比較に意識を向けない、難易度=劇ムズ。 当たり前のことを当たり前と思わないようにする、難易度=気づきもしない。 足るを知ることも重要、難易度=無理。 なんか、人間ってどうしようもない生き物なのかもしれない。 そして、年代によってもいろいろ変わってくるが、潔く諦めきれることも出てくると思う。 いや、諦めなくてはならないことだった。 諦めが肝心という言葉もあるくらいだから大切なことかもしれない。 それでも、次から次へと湧いてくる欲。 もし欲を諦める方法があるとすれば、欲を出し過ぎて失敗すること。 失敗して嫌な思いをすれば、そのものに対しての欲を求める気さえ失せてしまうはず。 とは言っても、それでも同じ過ちを繰り返してしまうのが人間。 失敗を糧に