投稿

9月, 2021の投稿を表示しています

円状交差点のスムーズな通行法と注意点

イメージ
この円の形をした交差点は 環状交差点 とか、 ラウンドアバウト などと呼ばれている。 初めてこの交差点を通過したときは、なんて画期的な交差点なんだ、と思ったことを覚えている。 この 環状交差点 には、なんと…… 信号機 が存在しない、そして、 止まれ の標識すらも存在しないからである。 が、その代わりに路面に ゆずれ と書いてある、えっ、何をゆずるんだろう?……。 パッと見はたいしたルールがなさそうだが、いちおう安全に走行するためのルールが設けられている。 まず 環状交差点 に近づいたら左側によって徐行する。 交差点内で走行している車が優先になっているので、走行の妨げになりそうなら一時停止する。 そのための ゆずれ であった。 もちろん人や自転車などがいたら一時停止するか ゆずれ である。 交差点内は時計回りの一方通行なので、進入するときはウインカーは出さなくてもいいことになっている、なぜなら、一方通行だから、だが普通にウインカーを出して進入するドライバーも見かける。 たまにだが無意識に自分もウインカーを出して侵入しているときがある、交差点内は危険なので注意を怠らないようにしないと……。 そして進入した後は、出ていきたい方向にある道路の直前でウインカーを出し、交差点を出るまで点滅を継続させながら出ていく。 う~ん、スムーズだ。 と、思っていたが何度も通過していたら、なんかめんどくさいと思うようになってきた。 それはハンドルを切る回数。 左方向に行きたいときはまだいいとする、左にハンドルを切ってチョット戻してまた左にハンドルを切る、なれると特に問題はない。 ここからがめんどくさい。 直進方向に進みたいのに左にハンドルを切る、そして戻して今度は右にハンドルを切る、そして戻してウインカーを出して今度は左にハンドルを切って交差点から出ていく。 作業量が多過ぎる。 そして右方向に行きたいときも最初は左にハンドルを切る。 ここでくじけてはいけない、戻してから右に切る、そして出ていきたい道路までその状態をキープし、戻したらウインカーをあげて左にハンドルをきり脱出する。 ふぅ~疲れた。 このウインカーを出すタイミングがハンドルを戻して...

欲を捨て無欲になりたいと思うのも欲

イメージ
「欲を捨てて無欲になりたい」と思うことがよくある。 物質的な豊かさや名声を追いかけることに疲れ果て、もっとシンプルに、静かに生きていきたいという気持ちの表れなのかもしれない。 心の平穏を求める気持ちは、多くの人が一度は抱くものだろう。 でも、ふと思う「無欲になりたい」というこの思いも、実は欲のひとつなのではないか?……と。 欲とは、「何かを求める心の動き」だ。 たとえそれが「何も求めないでいたい」という願いであっても、その状態自体を求めている限り、それは「無欲という名の欲」だと言えるのかもしれない。 欲は、人間にとってのエネルギー源 人の欲にはいろんな種類がある。 体が求める食欲や睡眠欲は、生きるために誰にでも共通してあるものだ。 けれど、心が求めるもの――安心、承認、愛情、成功――そういったものは人それぞれ違っていて、人間の数だけ欲望があると言ってもいい。 欲があるからこそ、人は動ける。 働き、学び、関わり、何かを目指すことができる。 実際、すべての生き物は、欲によって生命を維持し、種を存続させている。 食欲がなければ生きていけないし、性欲がなければ人類は続かない。 物欲があるから経済も回っている。 ただ、人間は社会という複雑なルールの中で生きているからこそ、自分の欲を「適切にコントロールする力」が求められている。 しかし実際には、バランスを取るのはとても難しい。 なぜなら、人間は本能的に欲を持っている存在だからだ。 理性でコントロールできると頭ではわかっていても、感情や衝動が先に動いてしまうことはよくある。 欲を捨てることはできるのか? 正直に言って、これはとても難しい課題だと思う。 「人と比べるのをやめよう」「足るを知ろう」――どれもよく聞く言葉だけれど、実行するのは簡単ではない。 むしろ、「欲を捨てよう」とすること自体が、自分に無理を強いている気がすることもある。 それでも、「欲に振り回されるのはもう嫌だ」という思いが強くなり、無欲を求める。 けれどそれもまた、欲の一形態に過ぎないと気づいてしまう。 とはいえ、人には時折、欲を手放せる瞬間がある。 それは、多くの場合、「欲望に突き動かされて失敗したあと」にやってくる。 欲を追いかけすぎてうまくいかなかったとき、「もういいや」と心の底から思えるようになる。 そこで初め...