欲を捨て無欲になりたいと思うのも欲

無欲になりたいのに次々と欲望が湧いてくる女性




「欲を捨てて無欲になりたい」と思うことがよくある。

これは物質的な欲望や、名声を追い求めることに疲れ、シンプルで内面的な平穏を求める心の表れかもしれない。

しかし、この「無欲になりたい」という思いもまたひとつの欲望に過ぎないのかもしれない、と思うこともある。

欲とは、何かを求める心の動きであり、たとえそれが「何も求めない」状態であったとしても、その状態を求める欲望といえるかもしれないからである。


人間の欲は多様である

体が求めるものは生命を維持するものであるため、多くの人に共通する傾向がある。

しかし、心が求めるものは個々の価値観や経験によって異なり、人間の数だけ欲望があるともいえる。

欲があるからこそ、人間は生きる意欲を持ち続け、社会の中で活動を続けられると思う。

むしろ、すべての生命体に共通していることは、欲が生命の維持や種の保存に不可欠であるということ……。

しかし、他の生命体とは異なり、人間は社会という複雑な環境で生きている。

そのため、各々が自分の欲望を適切にコントロールする必要がある。

それでも、食欲がなければ命を維持できず、物欲がなければ社会は機能しない。

性欲がなければ人類は存続できない。

とはいえ、それらの欲望を抑え、バランスを取ることは非常に難しいと感じる。

なぜなら、人間は欲の塊であり、その欲が本能に根差しているからである。

人は本能をコントロールすることができる言われているが、多くの場合、本能に振り回されていることの方が多いような気もする。


欲を諦めることは可能なのか?

極めて難しい課題である。

他人との比較を避けることや、「足るを知る」ことなどが重要だと言われているが、いずれも難易度が高いと感じている。

「欲を諦める」とは、ある意味で無理をすることだと思う。

だからこそ、人間は欲望に対して敏感になり、無欲であることを望むのかもしれないが、これもまたひとつの欲望であることに気づいてしまうのである。

それでも、欲望を諦めきれる瞬間もある。

それは、欲望を追求しすぎて失敗し、嫌な思いをすることで初めて欲が消え去る場合である。

人間は失敗を通じて学び、欲望をコントロールする術を手に入れることができるかもしれないが、同時に同じ過ちを繰り返すのもまた人間である。

それでも、失敗を糧に成長し、欲望に対して自覚的であろうとすることが重要な気がする。

結局のところ、人間は欲望と共に生きる存在である。

欲を完全になくすことはできないかもしれないが、その存在を認めながらもそれに囚われないようにすることが求められている。

欲をコントロールすることができれば、我々はより充実した人生を送ることができると思う。

そして、その欲望を通して、自分が本当に望んでいることを見つけ出し、それに向かって努力することこそが、生きる意味であり人生の意義なのかもしれない。





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イラスト 星野スウ

投稿:2021.9.5 日曜日