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唯一無二の存在だと自覚して生きる

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死後の世界の話になると、必ずといっていいほど出てくるのが転生の話。 人間を含む、あらゆる生命体には魂といわれるものが宿っているとされ、その生命体が死を迎えた後に、その個体から魂だけ抜け出て、また別の生命体に宿り生まれ変わるというもの。 自分が存在している今現在を「現世」といい、自分が生まれる前に存在していた生命体に魂が宿っていた頃を「前世」、自分が死んだ後に生まれ変わるであろう生命体に魂が宿っているこ状態を「後世」と呼んでいる。 なんとなく思うことは、たとえ転生や魂があったとしても、その器となっている生命体の活動が終われば、それはそれでお終いのような気がする。 そう思うのは自分には前世の記憶がまったくないからであり、たとえ前世があったとしても記憶がないのであれば現世ではなんの役にも立たない。 なので、現世での知識や経験も来世には持ち越せないはずである。 人間が人間に転生するとかって話になると「因果応報」という話もセットで出てくる。 前世で悪い行いをすると現世で悪い報いを受けるとか、現世で良い行いをすると来世では良い報いを受けるとかなんとか……。 転生では、前世の大事な記憶が引き継がれないのに因果応報だけが引き継がれるなんて、これもなんか変な話である。 その人間が蒔いた種は、その人間が生きている時に刈り取らせればいいのに、わざわざ因果応報だけ持ち越すなんて……。 あっ、魂が同じだからそれでもいいのかな、でも前世の記憶がなければの現世での悪い報いも、生まれ育った環境のせいにしたり、人間関係のせいにしたり、運のせいにしたりすると思う。 ただひとつ言えることは、魂が同じでも記憶が無ければ、前世と現世の人間は別人である。 現世と来世の人間も別人である。 もちろん前世と来世の人間も別人。 転生というものがあったとしても、結局は別人なんだから、今現世に存在している自分自身がこの世では唯一無二の存在である。 なので、このことを理解して、今を大切にやる気を出して生きていかなくてはならない、と思った……。 前世占いというものをやってもらおうとも考えたことがあったが、もし占い師に「あなたの前世はミジンコで、ある日出会ったメダカに『仲間の居場所を教えれば

人生最後の日~明日は我が身を意識する

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ふと考えたことがある……。 今日が、自分の人生の最後の日だと何者かに告げられた時に、いったいどんなことを思うんだろうと……。 ほとんどの人間は自らの人生を後悔するらしいけど、自分はいったいどんなことを後悔するんだろう……。 たぶん、誰もが思うようなことだと思う。 いつかやりたいと思っていたけどやれなかったこと、もしくは、いつかやめようと思っていたけどやめられなかったこと、だと思う。 ああしておけばとかこうしておけばとか、あんなことしなければとかこんなことしなければとか、いつもと変わらないことだと思う。 その日が最後なので考えられるのは過去のことだけなのに、もしかしたら現状をかえられたのではないのだろうかとかって一生懸命考えてしまうと思う。 もう後が無いからどうしようもないのに……。 そしてその日もいつもと同じよに、あっという間に時間は過ぎる。 常日頃から人生最後の日に後悔しないようにっていくら頑張っても、人間には欲があるので後悔しないようにってのは不可能な気もする。 なので、人生の最後の日だって、いつものように後悔していればいずれ時間が来てしまう。 人間の人生なんてそんなものだと思う。 そんな後悔とかよりももっと苦しいのは、絶望を感じることだと思う。 もし自分のこれまでの人生が、人間関係が良好で、有り余るお金があって、やりたいことが何でもできて、毎日幸福を感じながら生きてきたとしたら……。 それがもう一日限りで失われるとしたら……。 自分だったらその幸福を失う恐怖に耐えられない。 それが絶望というこの世で最も不幸なことだと思う。 だったらなんだかんだ後悔したほうがよっぽどましなような気もする。 でも、もしかしたら、幸福な人生を歩んできた人間の中には、人生最後の日だと告げられた後でもこの世に生を受けたことに感謝しながら終焉を迎える人間もいるかもしれない。 いるわけないか……。 やっぱり理想的なのはピンピンコロリなのかもしれない。 明日は我が身をつねに意識する いつか必ず自分の命が尽きるときがくる、生命体として生まれてきた以上、絶対に避けては通れない……。 それは、もしかしたら明日かもしれない。 そんなふうに思うようになったのは