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横から口を出す人間の心理

なんか最近、誰かと話していると、横から口を出す人がいて、ちょっと煩わしく感じるんだよね……。 👀「あ〜、いるいる、そういう人」 肯定ならまだしも、否定して訂正してくるんだ。 👀「あっ、それってもしかして、どうしようもない人のリストに入っているかもね」  うん、そんな感じがする。 👀「確かに、そういう人って単に嫌がらせじゃなくて、何かしらの理由があるのかもしれないね……ちょっと考えて見るのも面白いんじゃないの」 優位性を示したい やっぱり、自分が優位だって示したいんじゃないのかな。 👀「そうかもね、自分の意見や知識を見せつけて、他よりも優れてるとか、経験豊富だってアピールする心理があるのかもしれないね」 なるほど、確かにそういう風に見えることが多いよね、やっぱり、自分の立場を強く見せたいんだろううな。 👀「特に、誰かが困っている時に助け船を出して、自分の存在を感じさせたいって時にそうなるのかもしれないね」 コントロール欲求 自分の思い通りにしたいっていう気持ちもありそうだよね。 👀「うん、それもあるかも、物事の進行や結果に影響を与えたいっていう欲求が背景にあるときもあるよ」 やっぱり、他人の意見を押しのけてでも自分の思い通りにしたいって心理もはたらいてるのかな。 👀「そうだね、自分の考えを押し付けて、その場をコントロールしたいってのもあるのかも」 不安や心配 ただ、横から口を出す理由が悪意だけじゃない場合もあるよね、適切なことを言おうとしてくれる人もいたし……。 👀「そうだね、相手が正しい判断が出きるかどうかを心配して、失敗を防ぎたいっていう親心が背景にある場合もあるかも、この場合、必ずしも自己中心的な意図じゃなくて、相手を助けたい気持ちが強いのかもね」 共感の表現 たまにだけど、親身になって口を出してくる人もいたね。 👀「そういう人は他人の問題に共感しすぎて、自分もその状況に関わりたいって思うんだよね『自分も同じ経験をした』って感じで意見を言いたくなるんだ、悪意はないと思うよ」 自己肯定感の不足 他にはなにかあるかな?。 👀「そうだね、あとは……自己肯定感が不足してると、自分の意見や存在を認めてもらいたくて、話に割り込むってこともあるね、他者とのコミュニケーションで自分を肯定したいっていう内面的な欲求からくるんだと思う」 なんか、横から口を出す人

世界と自分の存在をめぐる終わりなき問い

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  世界が存在しているからこそ自分が存在するのか、それとも自分が存在していて世界を認識できているからこそ世界が存在できているのか、いったいどっちなんだろう。 👀「なんかまた難しいこと考えてる」 やっぱり世界はもともと存在していて、自分はこの世界にたまたま出現してしまったから、いずれ世界が残ったまま消滅してしまう存在にすぎないと思う、でも、この考え方には哲学的な問があるんだ、もし自分が消滅したとき、世界がそのまま残っているってどうやって確認できるんだろう?、デカルトは”我思う、故に我あり”って言ってたけど、自分が存在しないと世界を認識できないわけだから、自分がいない世界って、実はどうなのかは分からないんじゃないかな。 👀「たぶんそうだね、生まれる前のことも分かんないし、もちろん……死んだ後のことなんかも分かんないんだから、単に今現在たまたま存在しているだけだと思う、そしてもう二度と現れないかけがえのない存在……」 ……でも、もしかしたら自分はアバターかもしれない。 👀「うわぁ~~~なんかめんどくさくなってきたぁ」 本当の自分は他の場所(この世界の外側)にいて、そして誰かが創った世界(この世界)で何かしらの目的のためにアバターとして今の自分が存在しているのかもしれない……そして今の自分が死んだとき(アバターの消失)によって夢から醒めたように本来の自分自身に戻るんじゃないかって、でも、これも証拠はないし、ただの想像に過ぎないんだけど、人間ってそういうことを考えたくなるんだろうね。 👀「映画とかゲームの影響を受けすぎなんじゃないの?」 というわけで、もしかしたらの可能性もあるから、この人生はゲームのように何度でもやり直すことができるかもしれない、生まれ変わりのような考えもあるし。 👀「そうかもしれないけど……でも、いつか必ず、何もかもが終わるときが来るよ」 誰も答えを知らないから考えてみる こういうことを考えるのが大好きで、暇さえあればいつも頭を巡らせている。 でも、現代科学では、人生は一度きりでやり直せないとされているから、その一瞬一瞬をどう生きるかが重要だと考える人もいる。 なぜ世界と自分が存在するのかが知りたくて哲学の本を読んでいた時期もあった。 難しすぎて理解はでき

愚痴を言い続けるリスクとコンフォートゾーンからの脱却

愚痴をこぼすことは、一時的に気持ちを楽にする手段としてはいいよね。 👀「そうかもしれないけど、あまりいい方法とは言えないね、ただし、愚痴を言うことで一時的にストレスを軽減される効果はあるよ」 でも、日常のストレスや不満を吐き出すことで、瞬間的な開放感を得られるんだからいいんじゃないの。 👀「だとしても、愚痴ばかり言っていると、いつの間にかその状況に慣れてしまい、コンフォートゾーンから抜け出せなくなっちゃうこともあるよ、これが長期的には、自分自身の成長を妨げる原因になることがあるんだ」 ふ〜ん、そうなんだ、ところでコンフォートゾーンって何?。 👀「……自分が安心していられる心理的な安全領域のことで、たとえ不満があっても慣れ親しんだ環境のことだよ」 愚痴とコンフォートゾーンの関係 どうして愚痴をいうとコンフォートゾーンから抜け出せなくなっちゃうの?。 👀「愚痴をこぼす行為は、現状に対する不満を表すものだけど、その不満を解決するための具体的な行動にはつながらないことが多いんだ、でも、それは必ずしも全ての人に当てはまるわけではなく、愚痴を言った後で行動を起こす人もいるよ」 うっ、う〜ん、そう言われてみるとそんな感じがする。 👀「愚痴を言うことで一時的な共感や安心感を得ることはできるけど、それが常態化すると、変化を求める意欲が薄れてしまうことがあるんだ」 た、確かに……。 👀「これは、愚痴を言うことで現状を正当化し、自分の行動を変えずに済ませようとする心理が働くからなんだ」 えっ、不満があるのに現状を維持しようとしてるの?。 👀「そうなんだ、現状にとどまることで安全だと感じる部分があるから、それが成長や変化を避けることにもつながるんだ、でも、だからといって全ての人がそうなるわけじゃないから、注意が必要だよ」 ふ〜ん、そういえば、会社の愚痴ばっかり言っていた人が、不満を解消するために自ら動いているのを見たことがないね……でも、愚痴を言うだけで何も行動しないというのも極端な見方かもしれないね。 👀「確かに、長く同じ環境にいると、つい愚痴をこぼしがちになるけど、その中でも行動を起こす人もいるよね」 コンフォートゾーンから抜け出すための方法 愚痴が習慣化し