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世界と自分の存在をめぐる終わりなき問い

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  世界が存在しているからこそ自分が存在するのか、それとも自分が存在していて世界を認識できているからこそ世界が存在できているのか、いったいどっちなんだろう。 👀「なんかまた難しいこと考えてる」 やっぱり世界はもともと存在していて、自分はこの世界にたまたま出現してしまったから、いずれ世界が残ったまま消滅してしまう存在にすぎないと思う、でも、この考え方には哲学的な問があるんだ、もし自分が消滅したとき、世界がそのまま残っているってどうやって確認できるんだろう?、デカルトは”我思う、故に我あり”って言ってたけど、自分が存在しないと世界を認識できないわけだから、自分がいない世界って、実はどうなるか分からないんじゃないかな。 👀「たぶんそうだね、生まれる前のことも分かんないし、もちろん……死んだ後のことなんかも分かんないんだから、単に今現在たまたま存在しているだけだと思う、そしてもう二度と現れないかけがえのない存在……」 ……でも、もしかしたら自分はアバターかもしれない。 👀「うわぁ~~~めんどくさくなってきたぁ」 本当の自分は他の場所(この世界の外側)にいて、そして誰かが創った世界(この世界)で何かしらの目的のためにアバターとして今の自分が存在しているのかもしれない……そして今の自分が死んだとき(アバターの消失)によって夢から醒めたように本来の自分自身に戻るんじゃないかって、でも、これも証拠はないし、ただの想像に過ぎないんだけど、人間ってそういうことを考えたくなるんだろうね。 👀「映画とかゲームの影響を受けすぎなんじゃないの?」 というわけで、もしかしたらの可能性もあるから、この人生はゲームのように何度でもやり直すことができるかもしれない、生まれ変わりのような考えもあるし。 👀「そうかもしれないけど……でも、いつか必ず、何もかもが終わるときが来るよ」 誰も答えを知らないから考えてみる こういうことを考えるのが大好きで、暇さえあればいつも頭を巡らせている。 でも、現代科学では、人生は一度きりでやり直せないとされているから、その一瞬一瞬をどう生きるかが重要だと考える人もいる。 なぜ世界と自分が存在するのかが知りたくて哲学の本を読んでいた時期もあった。 難しすぎて理解はできなかった

愚痴ばかり言うとコンフォートゾーンから抜け出せなくなる

愚痴をこぼすことは、一時的に気持ちを楽にする手段としてはいいよね。 👀「そうかもしれないけど、あまりいい方法とは言えないね、ただし、愚痴を言うことで一時的にストレスを軽減される効果はあるよ」 でも、日常のストレスや不満を吐き出すことで、瞬間的な開放感を得られるんだからいいんじゃないの。 👀「だとしても、愚痴ばかり言っていると、いつの間にかその状況に慣れてしまい、コンフォートゾーンから抜け出せなくなっちゃうこともあるよ、これが長期的には、自分自身の成長を妨げる原因になることがあるんだ」 ふ〜ん、そうなんだ、ところでコンフォートゾーンって何?。 👀「……自分が安心していられる心理的な安全領域のことで、たとえ不満があっても慣れ親しんだ環境のことだよ」 愚痴とコンフォートゾーンの関係 どうして愚痴をいうとコンフォートゾーンから抜け出せなくなっちゃうの?。 👀「愚痴をこぼす行為は、現状に対する不満を表すものだけど、その不満を解決するための具体的な行動にはつながらないことが多いんだ、でも、それは必ずしも全ての人に当てはまるわけではなく、愚痴を言った後で行動を起こす人もいるよ」 うっ、う〜ん、そう言われてみるとそんな感じがする。 👀「愚痴を言うことで一時的な共感や安心感を得ることはできるけど、それが常態化すると、変化を求める意欲が薄れてしまうことがあるんだ」 た、確かに……。 👀「これは、愚痴を言うことで現状を正当化し、自分の行動を変えずに済ませようとする心理が働くからなんだ」 えっ、不満があるのに現状を維持しようとしてるの?。 👀「そうなんだ、現状にとどまることで安全だと感じる部分があるから、それが成長や変化を避けることにもつながるんだ、でも、だからといって全ての人がそうなるわけじゃないから、注意が必要だよ」 ふ〜ん、そういえば、会社の愚痴ばっかり言っていた人が、不満を解消するために自ら動いているのを見たことがないね……でも、愚痴を言うだけで何も行動しないというのも極端な見方かもしれないね。 👀「確かに、長く同じ環境にいると、つい愚痴をこぼしがちになるけど、その中でも行動を起こす人もいるよね」 コンフォートゾーンから抜け出すための方法 愚痴が習慣化し

自分のした事は許せるけど他人のした事は許せない

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同じ過ちを犯したとしても、他人の行動に対しては厳しい視線を送りがちなのに、自分の行動には寛容であることってあるよね。 👀「確かにそうだね、でも、なぜそうなるんだろう?」 自己中心的な考えが影響しているのかな……。 👀「それも一因だけど、もっと深い心理的要因があると思うよ」 例えば?。 👀「自分の行動については、その背景や動機、感情を自分自身で理解しているから、自分に対しては寛容になりやすいんだ、さらに、自己評価を守るために、自分を肯定することで心理的安定を保とうとする傾向もあるんだ、これは自己肯定感を維持しようとする心理的メカニズムとも関連しているよ、心理学的には、これを『認知的不協和の解消』と呼んでいるんだ」 ふ~ん、なるほどね、じゃあ他人の行動にはなぜ厳しいの?。 👀「他人の行動については、その背景や動機を十分に理解できないから、簡単に判断を下してしまうことが多いんだ、それに、他人の行動が自分に直接的な影響を与える場合、感情的な反応が強まり、許容することが難しくなることもあるね、ここには『内集団バイアス』や『外集団バイアス』といった認知バイアスも関係しているんだ、これらのバイアスは、自分や自分に近い人々の行動を好意的に解釈し、他人や外部の人々の行動には厳しくなる傾向を持つんだよ」 理解するのは難しいんだね、心理学的にはどう説明されているの?。 👀「こうした現象には、いくつかの心理的なバイアスが関係しているよ、例えば、『自己奉仕バイアス』というのは、自分の成功は自分の努力や能力おかげだと考え、失敗は外部の要因に帰する傾向のことなんだ、一方で、他人の行動については『対応バイアスや』や『基本的帰属の誤り』といって、その人の性格や意図によるものだと考えがちなんだ」 なるほど、じゃあ、どうすれば他人に対して寛容になれるの?。 👀「まずは共感をもつことだね、他人の立場や背景、感情に共感することで、その行動の理由を理解しやすくなるよ、そして次に、自己反省を行うことも大切だね、自分の行動を客観的に振り返って、他人の行動と比較することで、公平な視点を持つことができるんだ、他にも、日常生活で異なる意見や価値観に触れる経験を増やすことや、心理学的な訓練や教育プログラムを利用する