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返報性の原理を意識して人間関係を良好にする

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スポンサーリンク どうも人間は何かをしてもらったり、何か物を貰ったりすると、それ相応のものをお返ししたくなるらしい。 返報性の原理と言われていて人間なら誰しも持ちあわせている心理作用らしいが……。 確かに、自分がこれまでの人生で経験したことと照らし合わせてみた場合、返報性の原理が当てはまる場面はこれまでにたくさんあった。 やっぱり、何かをしてもらったり何か物を貰ったりして、こちらが有難いとか嬉しいとか助かったとか感じた場合には、それ相応のものをお返ししたくなってしまう。 なので、これはこれで良いことだとは思う、ていうか返報生の原理が働くのでお返しないではいられなくなってしまう。 相手にお返しするものが、喜ばれる行為や物なのかどうかをちゃんと考えて、恩着せがましくなければ人間関係は良好になると思うので、どんどん作用させていきたいと思う。 そういえば、良いことだけに注目していたが、悪いことにも返報性の原理があるんだろうか?。 調べてみたら、敵意の返報性というものがあるのが分かった。 これも嫌なことをされたら、相手が同じように嫌がることをやり返したくなるという心理作用だが、人間だったらこちらの敵意の返報性のほうが日頃意識する割合が高いのかもしれない……。 たとえば、嫌みを言われたから嫌みを言い返す、文句を言われたから文句を言い返す、とか……。 他人の言動でネガティブな感情が湧いてきたら、もしかしたら知らずのうちに他人が不愉快になる言動を先にしてしまっていて、それが敵意の返報性により相手から返ってきているのかもしれない。 でも、自分の言動が原因だと気づける人間はなかなかいない、向こうが最初に言ってきたと思い込み、そこで敵意の返報性を使って反撃してしまうと簡単に劣悪な人間関係になってしまう。 だいたいがそんな感じだけど……。 なんかこうやってみると他人は自分を映す鏡みたいにも感じる。 他人の心が美しく感じるときは、自分の心が他人という鏡に映し出されて美しく感じているのかもしれないし、他人の心が醜いと感じるならば、自分の心が他人という鏡に映し出されて醜く感じてしまうのかもしれない。 良い行為の返報性だけを意識してお返しをして、悪い行為の返報性を意識しないで

自転車の動きには細心の注意を払わなければならない

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スポンサーリンク 比較的交通量の少ない住宅街を車で走行していた時の話。 この道路には車道よりちょっと高くなっている歩道が設けられている。 少し先の左前方の歩道に自転車が走行しているのを発見した。 自転車は路側帯ではなく歩道を走行していたので、こちらが別段注意していなくてもそのまま自転車の横を通り過ぎることができると考えていた。 しかし、この先にある交差点の左手前にあるコンビニに買い物に行く途中だったので、途中で追い抜いてもコンビニの駐車場に入る時、追い抜いた自転車が後ろから来るのを気にかけながら左折しなければならない。 それよりも自転車がコンビニの横を通り過ぎたのを確認してから左折したほうが良いと思ったので減速することした。 減速してからも自転車の動きを見ていたその時、なんと、自転車はちょっと高い歩道から右側に下りて車道に侵入、目の前を横切り反対側の歩道に行ってしまった……。 あぶなかった、もう少しで接触事故を起こすところだった。 驚いたのは、こちらが自転車を発見してから反対側の歩道に行くまでに、その自転車の運転者はいちども後ろを振り返らなかったことである。 いちども、後方確認をしなかったのである。 自分が自転車を運転していた場合、後ろから車が来るかもしれないので追突されないように後方確認をするのが当たり前だが、それが当たり前じゃない人間もいる。 あのまま減速しないで走行していたら間違いなく接触事故を起こしていたと思うと……。 そのときは事故んなくて運が良かったという安堵感よりも、後方確認もせずに車道に侵入し、ヒヤッとさせた自転車の運転者へ対しての怒りでいっぱいになりそうになったが、いつものようにすぐに頭を切り替え冷静になるように自分に言い聞かせた。 世の中ではこんな感じになった時、事故につながらなくて良かったと思うよりも、危険な行為をされた、という怒りのほうが優先されてしまって居ても立ってもいられなくなり煽り運転等に発展していくのかもしれない。 車の運転中にイラッとしたときは世の中にはこういう人間もいるんだ、と理解してその事柄を俯瞰してみるように心がけている。 あとは、自分の当たり前が必ずしも他人の当たり前じゃないことを意識する