他人の言動に腹が立った時に思い出したい諺

他人の言動に腹が立った時に「人の振り見て我が振り直せ」を思い出しながら向かい合っている人間

スポンサーリンク



世の中には素晴らしい諺がたくさんある。

人間として生きていくうえで確かにそうだ、と思うことが短い文章の中で的確に表現されている。

その諺の中でも人間とはなにか、人間関係とはなにか、を表しているにもかかわらず、ほとんどの人間がこの諺の大切さに気づいていない、気づきにくい諺がある。

人間関係に対して重要な意味を持っているのに、ほとんど機能しないもったいない諺がこれだと思う。

~人の振り見て我が振り直せ~

あ~そんなの知ってるという声が聞こえてきそうだけど。

意味を知っていたとしても、ほとんどの人間が理解していないという、かわいそうでもったいない諺である。

これは人間関係でもっとも重要な意味を持つ諺なのに。

なぜ他人の言動をみて自分の言動を見直さなければならないのか。

それは他人のことは見えているけど、自分のことはまったく何も見えてないことを指しているからである。

他人の言動で腹が立ったり嫌な気分になったりすると、自分ではその人間とは違うので、同じような言動はしない、そう思い込んでしまっている。

しかしこれは自らがしてはいけないと心の奥底で思ってはいるが、無意識のうちにしてしまっていることを他人の言動を通して自らに警告しているという、人間が持つ生存本能のひとつだと思う。

誰にでも備わっている大切な生存本能のひとつ、なのにも拘わらず、理解していないから愚痴を言ったり、陰で悪口を言ったり、挙げ句の果てに自分のことを棚に上げて相手に注意したりする。

感情とセットになってしまっていると気づくのは困難だし、自らを客観視するのはとてつもなく難しい。

そのおかげで人間関係がめんどくさいものになっているのは言うまでもない。

そしてある日、自分もやっと気づいた、無意識に同じことをしていたと……。

忌み嫌い軽蔑していた人間と同じようなことをしていた自分を蔑んでしまい、そのときにこの諺の本当の意味を理解したと思った。

他人の振りを見ただけで自らを省みて戒めることができる、という素晴らしい諺なのに理解できる人間が少ないのでもったいないと感じている。

なので、理解してからは他人より圧倒的に愚痴を言わなくなった。

だって、自分の欠点を他人に教える必要はないから……。

本当にこれを理解している人間はとてつもなく貴重な存在である。

そしてこれはある日、ふと思い浮かんでしまったオリジナルの諺だが、内容は上記と似たような意味である。

~「たれかもの」が「たれかもの」を「たれかもの」と言う~

「たれかもの」とは「怠け者」の宮城・福島地方の方言である。

いつも怠けてばかりいる人間が、たまたまサボっていた人間を見つけて「あいつは『たれかもの』だ!」と言ったことが起因している。

たいして仕事をしていないあんたが言うか、と思ったけど似たような例は誰にでもあると思う。

それぐらい自分のことは見えていない。

そして、人間関係で悩みすぎて思いついたのがこれ。

~どうしようもない人間はどうしようもない~

世の中には人間関係を良好にしようとしても、どうしようもできない人間が存在する。

特にコンプレックスの塊と自らは偉いんだと勘違いしてマウントを取ってくるような人間は要注意である。

何とかしようと思うこと自体がが間違いであり、どうすることもできずに自らの生命エネルギーと精神エネルギーを消耗するだけである。

どうしようもない人間を早期に発見して距離をとる、関わらない、二度と会わないなど対策を施さないと自らが疲弊するだけ。

手遅れになると自らの心を病んでしまい、挙句の果てに身体にまで影響を及ぼし病気になってしまうかもしれない……。

大切な人生をそんな人間のために犠牲にしてはならない。

自分の人生は自分で守る。

とにかく早期発見である。

いろんな人生のためになる言葉を思い出してやる気を出し、このくだらない人間社会をなんとか生きていかねばならない。

めんどくさい悩みや不安、煩わしさと毎日戦いながら……。

自らの大切な人生の時間をそんなことに費やすのはもったいない。

なのでなんとか気持ちを切り替えて、やる気を出して毎日楽しいことでいっぱいにする。

そして、あっという間の人生を楽しむ、あっこれもいい言葉。


スポンサーリンク



イラスト:「イラストAC」ちょこぴよ

投稿:2021.6.10 木曜日

ブログランキング・にほんブログ村へ