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1月, 2021の投稿を表示しています

人生と向き合う意味~不安を減らし限りある時間を大切に生きるヒント

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人間としてこの世に生まれてしまったら、何がどうなろうと、いつか必ずこの世とお別れする日がやってくる。 それを考えると、寂しさや怖さ、切なさが混じり合い、複雑な感情が湧いてききてしまう。 そして、多くの不安の源となるのも、やはり「そのときがいつ訪れるかわからない」という事実である。 仮に寿命を予想してみても、未来のことなど誰にもわからない以上、単なる数字遊びで終わってしまう。 だからといって、「未来を考えない」というわけにはいかない。 何の準備もせず過ごせば、後から後悔するだけとなる。 「あのとき、もう少し先のことを考えておけばよかった…」。 そうならないためには、今できることからひとつずつ、未来への備えをしていくことが大切である。 ただ、現代の忙しい生活の中で、「やるべきこと」「やりたいこと」が後回しになりがちなのも事実だ。 そのまま過ごしていては、せっかくの人生を無駄にしてしまうかもしれない。 だからこそ、今この瞬間から、自身の時間と人生を大切に扱う姿勢を身につけ、未来を悲観しない生き方と考え方を構築していきたい。 将来の不安には「備え」で応じる 未来を予測し、備えることができるのは、他の生き物にはない「人間の特権」である。 「備えあれば憂いなし」という言葉通り、準備することで、多くの不安が和らいでいく。 たとえば、防災グッズをそろえるように、人生の予想できるリスクに対しても、できる範囲で手を打つことから始めればいいと思う。 災害と同様、未来もまた予期せずやってくるのだから……。 貯金の習慣を身につける 生活が成り立つ範囲で、毎月必ず少額でも貯金してみる。 それは単なる買い物のためではない。 「未来への漠然とした不安」を、少しずつ減らしていくための行為となる。 もし、「お金があっても不安が消えない」という声があるなら、次のように考え直してみるとよい。 ないよりも、あるほうが確実にできることが増え、解決できる問題も増える。 その事実そのものが、「安心感」に換わるものとなる。 保険の活用 予期できるリスクには、できる範囲で保険をかけておくのもひとつの手だ。 世の中には、多様な種類の保険があり、種類によって役立つ状況も異なる...

無限とか永遠ってのはいったい何なの?

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無限とか永遠のことって考えれば考えるほど、なんだか訳が分からなくなってきた。 👀「それで正解、考えるだけ無駄ってことかもね」 でも、無限の宇宙とか永遠の命とかってなんか、ロマンを感じるんだけど。 👀「はあっ?、まあ~……感じるだけだったら自由だし、想像力って大事だよ」 いちどでいいから宇宙の果てに行ってみたいな~。 👀「さっき無限だって言ってなかったっけ?」 死ぬのが怖いから永遠の命が欲しい、あっそうだドラゴンボールでも探しに行こうかな。 👀「ひとつも見つけられない未来が見えるけど」 寿命がある人間に無限は理解できない? 人間には寿命がある。 だから、「終わりがない」とか「果てがない」っていう感覚を、本当の意味で理解するのはむずかしい、ていうか無理。 たとえば、宇宙。 今の科学では、観測できる宇宙の大きさは約930億光年の球体だと考えられている。 光年って、たしか光が1年かけて進む距離。 光は秒速30万キロで進むから、1秒で地球を約7周半できる。 そんな光でも930億年かかるような広さって……想像の限界を超えてる。 でも、「観測できる範囲」が930億光年ってだけで、その外側があるかもしれない。 もし外側が何もない空間だったとしても、「何もない」が無限に続いてるってどういうこと?……考えても考えても答えが出ない。 でも、こうやって想像してみること自体が、宇宙と向き合う小さな一歩なのかもしれない。 👀「それでも、限界はあるけどね」 永遠の命って、ほんとうに欲しいもの? やっぱり、死ぬのって怖いから、永遠の命があったらいいなってみんな思っていると思う。 永遠の命があれば、時間を気にせずなんでも挑戦できるし、知識も経験もどんどん増やせる。 そしたら、未来の世界で王様みたいにふるまえるかも……って妄想がふくらんじゃう。 でも、ふと思う。 「それ、本当に楽しいのかな?」 もし、永遠が“当たり前”になったら、今の感動やありがたみはどこにいくんだろう?……。 それに、人間関係も時間とともに変わるし、もし自分ひとりだけが生き残ったら、孤独もまた永遠になる。 楽しいことだけが永遠に続くわけじゃない。 だから、「永遠の命」って、思ってるよりずっと重たいテーマなのかも。 👀「それ、だいぶ大事な気づきだと思うよ」 無限と永遠、似てるけどちがうもの なんと...

心の容量をひたすら維持する

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なぜなのか、他人の言動がとてつもなく気になってどうしようもない日がある。 そんな日に、他人から文句を言われたり、嫌味を言われたり、妬みを言われたり、相手の態度が悪かったり、何かを否定されたりすると、とてつもなく嫌な気分になる。 その嫌な気分をいつまでも忘れることができなくて、心の中がモヤモヤしたり、イライラしたり、ザワザワしたりして、胸のあたりが苦しくなるような感じが一日中続くこともある。 挙句の果てに夜寝るときに反芻という、嫌なことを何度も何度も繰り返し思い出すことが始まってしまい、夜も眠れなくなって朝まで続くこともある。 これまでに、どのくらいの時間を無駄にしてしまったのか分からない。 しかし、なぜなのか分からないが同じような内容を言われたとしても、さほど気にならない日もある。 なんか言っているな~って感じる程度なので気分にも影響がない。 心に負荷がかかっていない状態なので、夜は熟睡できる。 いつしか、なぜその日によって心の状態が変化しているのか気になりだしていた。 気にならない日はもしかして相手を俯瞰して見れるようになったから気にならなくなったのかと思ったけど、なんか違うような気もする。 なんとなくだが、心の容量というものの変化に伴うことのように感じるようになってきた。 心の容量とはキャパシティ(略してキャパ)と言われていて物事を受け入れる能力のことである。 例えば人間の心も箱のような入れ物でできていて、毎日大きさが変化するのかもしれない。 この変化する心の容量の状態が人間関係をめんどくさくしている要因のひとつかもしれない。 心と体はつながっている 他人の言動が気になる日は、不安やストレスで心の状態が不安定になっていたのか、それとも体調不良が原因だったのか。 なんとなくだが両方とも原因の可能性があると思う。 なぜなら不安やストレスを感じているときは胸の辺りが苦しくなるし、体調がすぐれないときは心がモヤモヤした感じになる。 因果関係が有るのか無いのか分からないが、これまでの経験では有るとしか思えない。 「病は気から」という言葉もあるし、心と体は繋がっていると思う。 心の容量をイメージしてみる 生まれ持っ...

傾聴で関係性を深め有効度と知識を高める方法

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毎日、何かしらのことで心がザワついてしまう原因といったら、やっぱり人間関係なのかもしれない。 おそらく、多くの人間が人間関係で苦しんでいると思う……じゃなくて苦しんでいるのが現実である。 考え方を変えたって、受け取り方を変えたって、反応しないようにしたって、どうやっても心が乱されてしまうときは乱されてしまうのである。 腹が立って悔しくて、何とか解決できないかと一日中考えてしまい、夜寝るときには反芻が始まり眠れなくなってしまうこともある。 それでも人間関係を良好に保てる可能性が少しでもあることを、めんどくさいと思いながらも、やる気を出して実践していかなければならない。 なんとなくだが実践してみて効果があり、なおかつ知識まで得られる方法があった。 他人の話を聞いてあげる ただ単に聞くのではなく、聞いてあげるのである。 なので、うわの空で聞いてはいけない。 ちゃんと耳を傾け、頷きながら聞くので、傾聴というらしい。 人間には承認欲求という他人に認めてもらいたいと思う欲求がある。 相手の承認欲求を満たす方法のひとつが話を聞いてあげること。 親身になって話を聞いてあげれば、相手に認められていると感じさせることができる。 さらに信用までしてもらえる可能性もある。 これはやる気は必要ないが、聞く気は必要である、自らのキャパシティ(心の容量)に余裕がある時が望ましい。 どんな話を聞いてあげればいいのか 自分に多少の興味があり知識が充実していない事柄で、相手が得意な分野がいいと思う。 ちょっと難しいけど……。 そのためには相手のこともある程度知っておく必要がある。 どんな対抗策でも相手を知らなければどうすることもできない。 適正な質問ができるようになれば有効度は増していくし知識を深めることもできる。 その他にも最近の話題や社会のこと、将来のことなど共通の話題を見つける。 ちょっとやる気が必要。 愚痴や不満ばかり聞かされそうになったら離脱する どうしても愚痴や不満ばかり口にする人間はどこにでもいる。 他人の愚痴や不満もある程度は聞いてあげることも必要だが、自分がそう思わなければ我慢して聞いている必要もない。 なの...

本を読んで知識欲の権化を目指しながら自分の世界を広げる

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世の中のことを知れば知るほど知らないことの多さに気付かされる。 そして、「井の中の蛙大海を知らず」を思い出し、自分はなぜ今まで、こんな小さな世界でのたうち回っていたのかを今更ながら悔やんでいる。 もっといろんな本を読んで、もっといろんな知識を知っておけば良かったと。 いかに自分が無知なのかを思い知らされ、いろんな本を読んで知識を深める努力をするようになり、いつしか知ることが楽しくなってしまった。 そして、限られた時間をもっと有効に使い、いろんなことを知って知識欲の権化になることを目指すようにしようと思った。 そうすれば将来、困難に陥ったときに、その知識が自分を助けてくれるかもしれないから。 ちなみに知識欲の権化という言葉は「ファイブスター物語」という漫画で知ってから、なんとなく気に入っている言葉のひとつである。 簡単で効率よく知識欲の権化になる方法 人の話を聞くのも大切だが、本を読むのも大切である。 紙でも電子書籍でもアプリでも読めれば媒体なんて何でもいい。 要点だけ知りたい場合は目次を見てから必要なところだけを読む。 おもしろい内容なら最初から最後まで読破する。 興味のある分野から始める 興味があるからこそ疑問が生まれ、知りたいという知識欲が湧き起こると思う。 まったく興味がないと読むだけで苦痛に感じてしまうし頭にも入ってこない。 さらに専門用語なんて連発されると本を閉じてしまうかもしれない。 今の自分には関係なさそうな本には最初は手を出さない。 難易度を見極める 何でもだが専門書から入ってしまうと、言っている意味がわからず挫折してしまう、そして興味まで失せてしまう。 最初は入門書から入り徐々に視野を広げていく。 入門書 =文字が大きくて分かりやすい説明図があるし、専門用語の説明まである。 専門書 =文字が小さくて説明図をみてもチンプンカンプン。 鵜呑みにしない 科学で解明されない謎や不思議関係が書いてある本は著者の考え方や価値観により内容が変わってくる。 最初に読んだ本に影響を受けてしまうと違う意見が書いてある本を受け付けるのが難しくなってしまう。 鵜呑みにしないで、とりあえず頭の中に置...

他人と比較しないで生きていく

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自分の人生において、他人と比較しなかったことなどいちどもない。 👀「いや、そんな偉そうに言い切らなくても」 隣りの芝生はいつも青かった、とても……とてつもなく青かっ……グスッ。 👀「うっ、泣いてる、なんか……可哀想な人生を歩んできたんだね」 だから、他人と比較しないで生きるなんて不可能に近い、なのでムリ~~~。 👀「えっ、もう結論なの、少しは考えてみないと」 自分より劣っている人間をみては優越感を得て、自分より優れている人間をみては劣等感に悩まされ、自分より豊かな生活をしている人間をみては羨ましがり、自分より貧しい生活をしている人間をみては哀れむ、それが人間という生き物。 👀「うっ、なんとなくは分かるけど」 そして、人間は社会で生きていくうえで自分がいったいどのあたりにいるのかが気になってしょうがない、上をみても下をみてもキリがあることは分かっているから。 👀「えっ、キリってあるんだ」 それが人間の本能にデフォルトとして備わり、他者より優位にたって生き残るために組み込まれたシステム、それが比較である。 👀「そうかなぁ?」 世の中は比較だらけ 人間は毎日、いろんな物事を比較していると思う。 例えば、いいものを持ってる人間を羨ましがったり、自分がいいものを持っていたら自慢したり、いいものを持っていない人間を哀れんだり、人間は意識しないようにしても意識してしまっている。 それは、商品だったり、値段だったり、プランだったり、その他もろもろ。 もしかして、ありとあらゆるものを比較しているのかもしれない。 そして、いつしか対象が他人との比較になってしまい、自分と他人の環境や待遇の違い、手に入れた地位やお金などの比較に発展していく。 その他にも、体型だったり、能力だったり、経験値だったりする。 それが感情と結びつき優越感や劣等感に変わっていくと思う。 👀「うっ、そうなの?」 人間に感情と欲望があるかぎり他人と比較しないで生きるのは難しい 結局、人間は感情の動物である。 比較するのが無意味だと分かっていても無意識に比較している。 自分より劣っている人間をみて優越感を感じ、優れている人間をみ...

本を読んでも人間関係は変わらなかった

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世の中にはたくさんの本があり、手軽に知らない知識を得ることができるものとして重宝してきた。 しかし、本を読んで知識を得たり、解決を試みたものの、何も変わらない、どうしようもない、役に立たなかった本もある。 その本とはいったい……それは、人間関係の悩みを改善できそうなことが書いてある本だった。 書いてある内容といえば、他人は変えられないから自らの考え方を変える?とか、自らの対応の仕方を変える?とか、挙句の果てに他人に反応しないようにする?とかっていう感じである。 はぁ、何それ……。 なぜ他人の無神経な言動のことで悩んでいるのに、自らを改善しなければならないのか……不思議に思いながらも、タイトルに惹かれていろんな本を購入して読んでいった。 そして、ほとんどの本にはこんなことが書いてあった。 他人は変えられないので自分を変えるしかないと……。 ちなみに過去も変えられない。 変わらなかった現実 読んでいた頃に、自らを変える努力はしてみた。 自らの考え方を変えてみようとか、こんな時はこんなふうに対応すればとか、反応しない方がいいときは無反応でいようとか……。 少しずつ、時間をかけて、そしてゆっくりと、それらの本に書いてあったことを実践していった。 これで人間関係の悩みが少しは軽減する、と思っていたが……特に何も変わらなかった。 ていうか前にもまして腹が立ち、夜には反芻が始まり眠れない状態になってしまった。 そして違和感のような、なんかしっくりこない変な感じになっていった。 そのうちストレスが溜まり、怒りと不安が入り乱れ、体調にも影響が出始めた時、それが何なのかやっと分かった。 他人を変えられないのに、自らを変えられる訳がない。 人間なんて、そう簡単に変わらない。 考え方を変えようとした努力も無駄になり、本を買ったお金も無駄になり、挙句の果てに時間まで無駄にしてしまった。 じゃあ、どうすればいいのか? 人間関係を改善する本は、確かにその場しのぎの「付け焼き刃」でしかないことが多い。 「三つ子の魂百まで」という諺もあるように、生まれ持っての気質や育った環境は、そう簡単には変わらない。 本を読んで感化されたとしても、それが定着しなければ、元に戻ってしまう。 そしてまた別の本を手に取り、同じことの繰り返し……。 だけど、じゃあ本当に何もできないのか?と言えば...

やる気が出るイメージによりめんどくさいを無くす

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はぁ~、なんかめんどくさいっていうもやもやした気分のせいでやる気が湧かないんだけど……。 👀「えっ、めんどくさいって考えちゃうから、気分までもやもやしてきてやる気が湧かなくなっちゃうんじゃないの」 このままじゃずぼらな人間になってしまう、何とかやる気が湧いてくる方法を考えないと。 👀「やる気が湧いてくる方法を考えるのもめんどくさいって思っているくせに、まったく、どうしようもない人間だね」 な、なんて失礼なことを、めんどくさいは人間に必要な感情であり、生まれた時から誰にでも標準装備されている本能だ、きっとそうだ、絶対そうだ……と思う。 👀「はぁ?そんなに意地にならなくても」 めんどくさいを克服する、それは人類が抱える最大の悩みであり人類に与えられた最高の試練、そして……究極の難題である。 👀「難題?そんなに難しいの、だったらちゃんと考えないと」 だって、考えるのもめんどくさいんだもん。 👀「やっぱり、どうしようもないなぁ~」 それでも、やらなくちゃいけないと思うことが山ほどあるんだけど、ぜんぜんやる気が出ない、そもそも……やる気ってなんなんだろう。 👀「やる気っていうのは動機とかモチベーションとかって言われていて人間が何かをしようとするときの気持ちのことだよ」 気持ちか~、そろそろ行動しないと大変なことになるし、しょうがない、めんどくさいがなくなって、なおかつやる気が湧いてくる方法を考えてみるよ」 👀「やっぱり考えるの?」 〖目次〗 1.楽しいことはやる気が出るけどつまんないことはめんどくさい 2.ご褒美の設定をしてやる気になるイメージを膨らませる 3.なんでもキッチリこなそうとするとめんどくさく感じる 4.無理やり手をつけてやる気を引き出すという愚策 5.どうしてもやる気が出ないとき 楽しいことはやる気が出るけどつまんないことはめんどくさい やりたいと思ったことは行動に移るまでに、めんどくさいという感情が湧かないことに気づいた。 やりたいと思ったことは直ぐにでもや...