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体を健康に保ちつつ心を健全に保つ方法

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スポンサーリンク この世界は物質でできていると思う、なので人間も物質でできていると思う。 なので、心や精神と呼ばれているものは物質で構成されている人間という生命体の体の中の脳というところで発生しているだけだと思う。 人間の体に魂が宿っているから心や精神があるのではなく魂の代替のようなものとして脳の中で発生していると……。 もしかしたら目に見えない何かしらのエネルギーが人間に影響を与えているということはあるかもしれないが、現時点ではその得体の知れないエネルギーを証明できない。 無いとも証明できないけど……。 それに、人間の持つ生命エネルギーは食物から摂取していることになっている。 なので、人間は物質のみでできているとしか考えられない。 そして、物質でできた脳があり、そこで構築された精神から心が生まれてきたと思う。 とすると、体と心はどっちを優先してケアしなければならないんだろう?……。 卵が先か鶏が先かの話になるが、健康な体に健全な心が宿るのか、それとも健全な心は健康な体を構築するのかと考えた時、どちらなのか分からないが、どちらも正解な気もする。 しかし、やっぱり物質世界では物質を優先すべきだと思う。 心に影響を及ぼすのは物質世界からの情報によるからである。 人間に備わっている五感からの情報。 第六感もあるかもしれないが、自分には無かったので五感しかないことにする。 受精してから細胞分裂が繰り返され身体がつくられていき、その後の成長過程で心がつくられていくと思う。 そしてその心は身体の影響をモロに受けていると思う。 身体のどこかが痛い、苦しい、かゆい、気持ち悪い、疲れがたまっているなどの異常があれば、いくら心が穏やかな状態であってもそれらの不快が優先され心も不快になる。 なので最低限、人間は健康な状態でなければいけない。 心のケアをするのはそれからである。 そして健康な状態を維持して毎日、五感を使って心のケアをする。 もちろん人間関係のストレスのケアである。 綺麗なものを見て心を美しくする。 素敵な音楽を聞いて心を癒す。 華やかな匂いを嗅いで心を落ち着かせる。 美味しいものを食べて

他人の言動に腹が立った時に思い出したい諺

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スポンサーリンク 世の中には素晴らしい諺がたくさんある。 人間として生きていくうえで確かにそうだ、と思うことが短い文章の中で的確に表現されている。 その諺の中でも人間とはなにか、人間関係とはなにか、を表しているにもかかわらず、ほとんどの人間がこの諺の大切さに気づいていない、気づきにくい諺がある。 人間関係に対して重要な意味を持っているのに、ほとんど機能しないもったいない諺がこれだと思う。 ~人の振り見て我が振り直せ~ あ~そんなの知ってるという声が聞こえてきそうだけど。 意味を知っていたとしても、ほとんどの人間が理解していないという、かわいそうでもったいない諺である。 これは人間関係でもっとも重要な意味を持つ諺なのに。 なぜ他人の言動をみて自分の言動を見直さなければならないのか。 それは他人のことは見えているけど、自分のことはまったく何も見えてないことを指しているからである。 他人の言動で腹が立ったり嫌な気分になったりすると、自分ではその人間とは違うので、同じような言動はしない、そう思い込んでしまっている。 しかしこれは自らがしてはいけないと心の奥底で思ってはいるが、無意識のうちにしてしまっていることを他人の言動を通して自らに警告しているという、人間が持つ生存本能のひとつだと思う。 誰にでも備わっている大切な生存本能のひとつ、なのにも拘わらず、理解していないから愚痴を言ったり、陰で悪口を言ったり、挙げ句の果てに自分のことを棚に上げて相手に注意したりする。 感情とセットになってしまっていると気づくのは困難だし、自らを客観視するのはとてつもなく難しい。 そのおかげで人間関係がめんどくさいものになっているのは言うまでもない。 そしてある日、自分もやっと気づいた、無意識に同じことをしていたと……。 忌み嫌い軽蔑していた人間と同じようなことをしていた自分を蔑んでしまい、そのときにこの諺の本当の意味を理解したと思った。 他人の振りを見ただけで自らを省みて戒めることができる、という素晴らしい諺なのに理解できる人間が少ないのでもったいないと感じている。 なので、理解してからは他人より圧倒的に愚痴を言わなくなった。 だって、自分の欠点を他人に教える必