心って脳のただの副産物なの?
この世界をどこまでも分解すると、最後には“物質”に行き着くと思う。
地球も、空も、身体も、全部が分子や原子の集合体。
だったら当然、人間の心も、物質からできている脳というパーツが生み出していると考えるのが自然……そんなふうに、割り切ろうと思えば、割り切れてしまう。
実際、脳の働きが思考や感情を生んでいる、という説は、今の科学の世界でも有力視されている。
悲しみや愛情や直感までも“化学反応”だとしたら……
ただ、そこに違和感を覚える人も多いと思う。
たとえば、「悲しい」とか「恋しい」とか「心が震える」みたいな感情まで、ぜんぶ脳内物質の作用だよって言われても、どこかしっくりこない。
愛や勇気まで「ドーパミンの出方」で説明されるのは、なんだか人間らしさがそがれていくような気がしてしまう。
だからこそ、“心はもっと深い何かじゃないか”という問いが消えないんだと思う。
「心はどこにあるのか」という問いに対する人類の仮の答え?
「人間には魂がある」と信じている人は今でもたくさんいる。
でも、その魂って実際にはどこにあるの?、どんな形なの?、って聞かれると、誰も答えられない。
もしかすると、魂というのは、「自分が自分であるという感覚」を説明するために人類が生み出した、仮の概念なのかもしれない。
心の正体がよくわからないからこそ、「魂」という言葉に丸ごと預けて安心している、という側面も否定できない。
見えないエネルギーの存在
ヒーリング、波動、水の記憶……そういう目に見えないものに、なぜか人が惹かれるのは、「証明されてない」けど「否定もしきれない」からだ。
科学のフィルターでは引っかからなくても、体感として「あ、何かあるな」と感じる瞬間が、誰にでも一度はある。
もしかすると、今はただ“科学の側がまだ追いついていない”だけなのかもしれない。
五感で感じられる“体”が確かにある
心がどんなに複雑でも、現実として人間の体は“物質”でできている。
その体がエネルギーを得るためには、ちゃんと食事して、眠って、呼吸して、休む必要がある。
つまり、どれだけ心を鍛えても、身体が弱ればすべてが止まる。
だからこそ、「心を整えるためには、まず体を整えるべき」だという考え方に、どうしても行き着いてしまう。
体が悲鳴をあげてたら心はついてこない
よく「気持ち次第だよ」とか「前向きでいれば大丈夫」って言うけど、それも元気な体があってこその話。
高熱を出しているときに、前向きな考え方をしようとしても、ただの頭痛と吐き気しか返ってこない。
つまり、心の力は、体の土台があってこそ発揮されるものなんだと思う。
「心が体を動かす」のか「体が心を作る」のか……
健康な体があってこそ心が整うのか、それとも心が整っているから体も健康でいられるのか?。
これはもう、哲学でいう「卵が先か鶏が先か」と同じで、どちらか一方だけを正解とするのは難しい。
でも、生きている現場――つまり日々の生活では、「まず体を整えるほうが現実的」という感覚は、やっぱり否定しづらい。
五感は心の入り口
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
人間が世界と関われるのは、たったこれだけの「感覚の窓」からだけだ。
つまり、心に届くものは、すべて“体を通じて”やってくる。
美しい風景を見て心が洗われたり、音楽に涙したり、ペットの肉球で癒されたりするのは、すべて“物質的な刺激”が引き起こす奇跡のようなもの。
「感じられる体」を丁寧に扱う
心がつらいとき、「どうにかしなきゃ」と思う前に、自分の体がちゃんと整っているかを見直すほうがいい。
ちゃんと寝てる?、食べてる?、深呼吸できてる?。
五感を大切に扱えば、少しずつ心も元に戻ってくる。
焦って心を“いじくり回す”よりも、まず体の土台を整える方が、ずっと現実的でやさしい対処法だと思う。
自分を整えるって“やる気を守る準備”なんだと思う
なんだか、自分に言い聞かせてるような文章になってしまったけれど……。
でも、心と体の両方が健全でいられれば、自然とやる気は湧いてくる。
それはきっと、理屈とか根性とかよりも、もっとシンプルな“しくみ”なんじゃないかな。
イラスト:「イラストAC」きのこ
投稿:2021.6.30 水曜日
