投稿

3月, 2022の投稿を表示しています

現実の中での悩みや不安と向き合う人生

イメージ
子供時代、さまざまな問題に悩み、不安に襲われていたとき、大人になれば悩みや不安から解放され、より自由になり、それらがなくなると信じていた。 そのため、早く大人になり、自由になりたいと心から願っていた。 しかし、成長(時間の経過)とともに、それは幻想であることがわかってくる。 人生には淡い期待を抱きながらも、悩みや不安から逃れることは難しいという現実を受け入れるようになってくる。 成長すると、以前の悩みが解決されたこともあったが、新たな悩みや不安が次々にやって来るのが現実だった。 それでも、ひとつずつ解決していけばいずれ悩みも不安もなくなるだろうと信じていた。 そういえば自分は思い込みが強いタイプだった……と振り返りつつも悩みや不安が完全になくなる日はないという現実だけを認識してしまった。 お金、病気、家族、老後、死など……人間は悩みや不安からは逃れられないことを理解し、生きているということはそういうものだと痛感した。 どうせ死ぬのであれば、不安を引き起こす欲望を手放すことも考えたが、生きたいという本能に逆らえない自分自身も確かに存在している。 結局、どうしようもないということを無理してでも理解するしかないのだと気づいた。 もし何かのメディアで解決法が提示されていても、解決できる人間は少数であり、大多数の人は解決できないのが現実である。 解決できない多くの人にとっては、結局は諦めるしかなく、それが納得できないと感じることもあると思う。 人生に後悔が残ることもあり、死の瞬間まで苦しむこともあるかもしれない、それでも、その現実を受け入れるしかない。 人生にはやる気を失くす瞬間があるかもしれないが、生きている以上は生きるしかないのだと自覚した。 悩みや不安に対処するためには、少しでも改善目標を立て、少しづつ達成していく。 僅かでもいいので悩みや不安の割合を潰して誤魔化していくしかない。 自分を誤魔化せる人間こそ幸福な人生を送れるのかもしれない。 悩みや不安からは完全に逃れることは難しいかもしれないが、上手く付き合っていけるようにするのも人生の目的のひとつような気もする。 もしくは人間が生きる意味、そのものなのかもしれない……。

共感とアドバイスの狭間

イメージ
心というものは、人間ひとりひとりに唯一無二のものとして存在し、それぞれの内面は独自の感覚や感情の集まりである。 それぞれの人間の心の状態はその人間にしか完全に理解することができず、他人の心の状態を推し量ることは、その人間の表情や行動からでしか判断できない。 そうやって観察した他人の心の状態がどんな状態なのかは、自分がこれまでにあった類似した経験や感情を振り返りながら、その時々の心の状態を基準にして「こんな感じだろう」というふうに想像するしかないと思う。 他人が本当はどんな感じなのか分からないのに、分かりあったと思わせるような「共感」という言葉も世の中にはある。 それでも、双方が納得できるのであれば素晴らしい言葉だと思う。 だが、問題は共感してからアドバイスをする人間である。 「気持ちは分かるが……」と切り出して改善策を持ち掛ける。 例えば、アドバイスをしようとしている人間が過去に受けた心のダメージが30パーセントくらいだとする、しかし、アドバイスをこれから受けようとする人間の心のダメージが70パーセントくらいだった場合、どんな改善策も役に立たないと思う。 倍以上違うから……。 そして、アドバイスを聞いた人間が改善策を試してみたが結局は役に立たたず、後にアドバイスをした本人が知ったりすると「それぐらいのことで……」となるから腹が立ってしまう、💢ムカッ。 ほとんどの人間は、同じ様な体験をした人間同士は同じ様な心の状態になると勘違いしている。 ひとりひとり性格も違えば受け取り方も違うし、心の容量も違えば耐性も違う。 それなのに、分かったふりしてアドバイス?……。 ひとつ言えることはアドバイスをする、と言うことは下にみている、マウントを取っているということである。 だから、こうすればいいとかああすればいいとか役にも立たないアドバイスを垂れ流す。 もう、そんな上から目線の人間となんか人間関係なんて構築する必要もない。 どうしようもない人間と同じ時間を共有するだけで時間の無駄である。 アドバイスなんてしないで、共感して事実をありのままに受け入れてくれる(傾聴してくれる)人間こそ、いい人間関係を構築できる大切な価値のある存在である。 そういう人間と過ごす時間こそ有意義な時間で

お金って何のためにあるんだろう

イメージ
スポンサーリンク 世の中にはお金というものが当たり前のようにあるけど、いったい何のために存在しているんだろう、と思う時がある。 そのお金の一部は人間の社会生活を豊かにするために税金という形で徴収され、みんなの生活のために役立っている。 だけど、恩恵を受けたことがある人間以外は、そうは感じていないと思う……。 それ以外で、人間ひとりひとりからみたお金というものはいったい何のためにあるんだろう……。 たぶん、自分の能力では、手に入れることができないものをお金を払って手に入れたり、できないことをお金を払って代わりにやってもらったりすること、だと思うんだけど……。 なんか、それだけじゃないような気もする。 もっと、人間の欲が根底にあるような気がするので探してみた。 承認欲求を満たすため 比較対象にあたる他人よりもいいものを買って「そんな高価なものを買えるあなたは凄い」と思ってもらうため。 でも、実際は妬まれるだけなので人間関係は悪くなる。 欲を満たすため 趣味や好きなものなど、自らの欲を満たすものを買うため。 自己満足で終わるので他人からどう思われても関係ない。 安心を買うため 将来に何かあったときの不安を軽減するために保険に入る。 保険にはたくさんの種類があるので、掛けた保険の数だけ将来に対しての安心を買うことができる。 人生を賭けるため お金を賭けてお金を増やす、一発逆転で人生を変えることもできるが、賭けるのがお金なのでリスクが大きい。 さらにまぐれで一発当ててしまうと気持ちが大きくなって散財してしまうらしい。 そして、お金がどんどん無くなっていくのに耐えきれずに、またお金を賭けてしまい元手がなくなると借金までしてしまうという話もある。 お金を使って人生を賭けてしまうと、失敗したときにお金以外の大切なものまで失ってしまうので注意が必要。 暇を潰すため 情報収集も兼ねるが各メディアで暇を潰すための媒体を買ったり通信料を払うため。 生活するため 電気・ガス・水道など。 その他に生活に必要だとされるものを手に入れるため。 その他の部分での水準を上げていくと生活が豊かになったと感じられる。 しかし、上げた水準は下げづらい、な