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現実の中での悩みや不安と向き合う人生

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子供の頃、今では取るに足らないようなことで悩んだり不安になっていた。 当時は、大人になればそんな悩みや不安からは解放されるものだと思っていた。 なぜそう思っていたのかというと、子供目線では、親や他の大人たちが悩みや不安を抱えているようには見えなかったからである。 だから早く大人になって悩みや不安から解放されたい、そう願っていた。 しかし、成長するにつれて、それは幻想であることに気づかされる。 大人になっても悩みや不安が尽きることはなかったからである。 自分の人生には淡い期待を抱いていたが、現実は違っていた。 以前の悩みや不安が解決したこともあったが、新たな悩みや不安が次々にやって来るのが現実だった。 特に大人になってからの悩みや不安こそが、人生における本物の深刻さを伴うものだった。 人間関係、お金、病気、家族、老後、死など……これらの問題は一瞬でも気を許すと、心が押しつぶされそうになってしまう。 生きている限り、人間は不安や悩みからは逃れられないということを、大人になって初めて痛感させられた。 時には、悩みや不安を引き起こす欲望を手放すことができれば、もっと楽になれるのではと考えたこともあったが、欲望を手放すのは簡単ではない。 結局、悩みや不安とは一生共存していくしかないということを、無理してでも理解するしかないのだと気づかされた。 たとえ何かのメディアで解決法が提示されていても、解決できる人間は少数派であり、大多数の人間は解決できないまま一生を終えるのが現実である。 解決できない多くの人間にとっては、結局は諦めるしかなく、それが納得できないと感じることも多々あると思う。 人生に後悔が残ることもあり、死の瞬間まで苦しむこともあるかもしれない、それでも、その現実を受け入れるしかない。 人生にはやる気を失くす瞬間が幾度もあるかもしれないが、生きている以上は仕方がないことである。 悩みや不安に対処するためには、少しでも改善目標を立て、少しづつ達成していくことが重要である。 僅かでもいいので悩みや不安の割合を減らして誤魔化していくしかない。 自分を誤魔化せる人間こそ、幸福な人生を送れるのかもしれない。 悩みや不安からは完全に逃れることは難しいかもしれないが、上手く付き合っていけるようにするのも人生の目的のひとつような気もする。 もしかすると人間が生

共感とアドバイスの狭間

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心というものは、人間ひとりひとりに唯一無二のものとして存在し、それぞれの内面は独自の感覚や感情の集まりである。 それぞれの人間の心の状態は、その人間自身にしか完全には理解できず、他人の心の状態を推し量ることは、表情や行動から判断する以外にない。 他人の心の状態を想像する際には、自分がこれまでに経験した類似の感情や状況を基に「こんな感じだろう」と推測するしかないと思う。 他人が本当はどのように感じているのか分からないにもかかわらず、「共感」という言葉が世の中にはある。 それでも、双方が納得できるのであれば素晴らしい言葉だと思う。 しかし、問題は共感した上でアドバイスをする人間である。 「気持ちは分かるが……」と切り出して改善策を提案することがある。 例えば、アドバイスをする人間が過去に受けた心のダメージが30%程度であった場合、アドバイスを受ける人間の心のダメージが70%であれば、その改善策は役に立たないと思う。 ダメージの度合いが倍以上も違うから……。 さらに、アドバイスを聞いた人間がその改善策を試しても役に立たなかった場合、アドバイスをした本人が「それぐらいのことで……」と感じることがあり、これが更に問題を深刻化させてしまう。 多くの人間は、同じ様な体験をした人間同士は同じ様な心の状態になると勘違いしている。 しかし、性格や受け取り方、心の容量や耐性は人それぞれ異なる。 そのため、分かったふりをしてアドバイスをすることは、しばしば相手を見下す行為に等しくなる……要はマウントを取っているということである。 だから、こうすればいいとか、ああすればいいとか、役にも立たないアドバイスを垂れ流す。 したがって、本当に大切なのは、アドバイスをすることではなく、共感し、事実をありのままに受け入れてくれる(傾聴してくれる)人間との関係を築くことである。 そういう人間との時間こそ、有意義なものであり、価値のある人間関係を構築するための基盤となる。 頼みもしないのに役に立たないアドバイスをしつこくしてくる人間とは、愚痴の対策と同じように距離を取るしかないと思う。 そうやって人間関係の問題を少しずつ減らしていくことが、人生にとって大切な要素であること

お金って何のためにあるんだろう

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スポンサーリンク 世の中にはお金というものが当たり前のようにあるけど、いったい何のために存在しているんだろう、と思う時がある。 そのお金の一部は人間の社会生活を豊かにするために税金という形で徴収され、みんなの生活のために役立っている。 だけど、恩恵を受けたことがある人間以外は、そうは感じていないと思う……。 それ以外で、人間ひとりひとりからみたお金というものはいったい何のためにあるんだろう……。 たぶん、自分の能力では、手に入れることができないものをお金を払って手に入れたり、できないことをお金を払って代わりにやってもらったりすること、だと思うんだけど……。 なんか、それだけじゃないような気もする。 もっと、人間の欲が根底にあるような気がするので探してみた。 承認欲求を満たすため 比較対象にあたる他人よりもいいものを買って「そんな高価なものを買えるあなたは凄い」と思ってもらうため。 でも、実際は妬まれるだけなので人間関係は悪くなる。 欲を満たすため 趣味や好きなものなど、自らの欲を満たすものを買うため。 自己満足で終わるので他人からどう思われても関係ない。 安心を買うため 将来に何かあったときの不安を軽減するために保険に入る。 保険にはたくさんの種類があるので、掛けた保険の数だけ将来に対しての安心を買うことができる。 人生を賭けるため お金を賭けてお金を増やす、一発逆転で人生を変えることもできるが、賭けるのがお金なのでリスクが大きい。 さらにまぐれで一発当ててしまうと気持ちが大きくなって散財してしまうらしい。 そして、お金がどんどん無くなっていくのに耐えきれずに、またお金を賭けてしまい元手がなくなると借金までしてしまうという話もある。 お金を使って人生を賭けてしまうと、失敗したときにお金以外の大切なものまで失ってしまうので注意が必要。 暇を潰すため 情報収集も兼ねるが各メディアで暇を潰すための媒体を買ったり通信料を払うため。 生活するため 電気・ガス・水道など。 その他に生活に必要だとされるものを手に入れるため。 その他の部分での水準を上げていくと生活が豊かになったと感じられる。 しかし、上げた水準は下げづらい、な