「わかったふり」のアドバイスが人を傷つける理由と思いやりの本質

他人の心の状態は分からないが自分の心の状態は分かる人間




心というものは、人間ひとりひとりに唯一無二のものとして存在し、それぞれの内面は独自の感覚や感情の集まりである。

そして、その心の中で起きていることは、どれほど親しい間柄であっても、結局のところその人自身にしか完全には理解できない。

我々が、他人の心の状態を推し量るとき、表情や言葉、行動といった外に出てきたわずかな手がかりから想像するしかない。

そして、その想像もたいていは、自分がこれまでに経験してきた類似の感情や状況をもとに「きっとこんな感じだろう」と推測するに過ぎない。

だが、当然ながらその推測が的を射ている保証はどこにもない。

それにもかかわらず、「共感」という言葉は世の中にあふれていて、「共感できること」が善とされているような風潮すらある。

もちろん、双方が納得できるかたちで成立している共感というのは、非常に価値あるものだと思う。

しかし、問題はその「共感」に続けて、勝手なアドバイスを始める人間である。

「気持ちは分かるけどさ……」と切り出されて、こちらが求めてもいない改善策を提案されることがある。

だが、その人がかつて経験した心のダメージが30%くらいで、今まさに苦しんでいるこちらのダメージが70%だとしたら、そのアドバイスな何の役にも立たないことが多い。

心の傷の深さというものは、外からは見えにくい。

けれど、それが倍以上も違えば、回復に必要な時間も方法もまったく異なるはずだ。

それなのに、表面だけを見て「こうすればいい」と言ってくる人間は、たいてい自分の物差しでしか人を見ていない。

さらにやっかいなのは、こちらがそのアドバイスを一度試してみた結果、やっぱり効果がなかった時に、「それぐらいのことで……」という態度をとられることである。

この瞬間に、心の深い部分で傷つき、さらなる孤独や無力感に追い込まれてしまう人も少なくない。

多くの人間は、同じような体験をした人間同士ならば、同じような心の反応を示すだろうと、無意識に思い込んでいる。

しかし、性格も、受け取り方も、心の容量も、耐性も、人によってまったく違う。

同じ出来事でも「大したことない」と感じる人もいれば、「もう立ち直れない」と感じる人もいるのだ。

それなのに、「自分も同じようなことがあったから分かるよ」と言いながら上から目線で助言を押し付けてくるのは、実は相手を見下す行為に等しい。

要するに、マウントを取っているということである。

そういう人間は、「こうすればいい」「ああすればいい」と、自分が正しいと思い込んでいる「役にも立たないアドバイス」を、まるで自信満々に垂れ流してくる。

そのたびにこちらは、自分の弱さや未熟さを責められているような気持になる。

だからこそ、本当に大切なのは、アドバイスをしてくれる人間を探すことではない。

必要なのは、まず相手の苦しみを否定せず、「そうだったんだね」と受け止めてくれる、つまり傾聴してくれる存在である。

そして、自分自身もまた、そうした態度を周囲に向けられるようにありたいと思う。

何かを「解決」しようとする前に、まず「理解しよう」とする姿勢を持つこと。

それが、人間関係において最も大切なことではないだろうか。

そうした人間との時間こそが、有意義で、温かく、心を支える時間になる。

そして、それは価値ある人間関係を築くための、何よりの基盤となるだろう。

頼みもしないのに、役にも立たないアドバイスを何度もしつこくしてくる人間とは、愚痴への対策と同じように、少しづつ距離を取っていくべきだと思う。

そうやって、自分の心を守ることは、決してわがままではない。

むしろ、自分の人生を大切にするために必要な選択なのだ。

人間関係のトラブルをひとつづつ減らしていくことは、結果としての心の安心や、人生の充実にもつながっていく。

だからこそ、「共感」の正しいあり方を、今一度見つめ直してみる価値はあると思う。





イラスト haru.s

投稿 2022.3.10 木曜日

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