手に入れた時間はいつか必ず失ってしまう
スポンサーリンク この世に生まれてきてしまったということは、せっかく手に入れた唯一無二の命さえも、他の生命体と同じように、いつしか必ず失われる時が来る。 その命は寿命をまっとうするまであるかもしれないし、病気や事故などで突然失ってしまうかもしれない。 何がどうなろうと覆すことができないし、それがいつになるかは誰にも分からない。 その限られた人生の時間の中で、人間はたくさんのものを手に入れる。 それは物だったり、お金だったり、経験だったり、考え方だったり、思い出だったりする。 それは、穴の空いたコップで水を汲むようなものだが、虚構を信じることができる人間にとっては、その穴の空いたコップでは水を汲んでため込むことができると思い込んでしまう。 人生ではそれらのものを手に入れたと思い込んでしまっているから、無くなると失ってしまったと感じてしまう、本当の自分の持ち物なんてこの心と体の1セットしかないのに……。 自らの命とともに、ありとあらゆるものは、次の世界があったとしても、持ち越せることはできないと思う。 だとしたら、生きているときに手に入れたものは、生きているときにしか意味を見いだせないことになる。 それがたとえ虚構であっても……。 そうなると、なんか、生きていることがとてつもなく価値があるように思えてきた。 じゃなかった、生きているときに手に入れたものに価値がある、である。 自分だけのもの、生きているときの自分だけのもの……。 死の恐怖とは自分の命が惜しいのではなく、手に入れたものを失う自分の存在自体が惜しいのかもしれない。 今更だけど生きているって凄いことだと思うし、存在してること自体が奇跡、としか言い様がない。 自分自身のことぐらいしか分からないけど……。 時間は毎日失われていく 人生とは生まれたときから、どのくらいとも見当がつかない持ち時間というものを失っていくことだと思う。 持ち時間とは、人間として寿命まで生きることができる可能性がある、みなし時間のことである。 その持ち時間は平等に与えられておらず、ひとりひとり違っている。 そして事故や病気で奪われてしまい、使い切らないで失ってしまうこともある。 それがいつま