将来を悲観しない生き方と考え方

人生という階段を上がりながら将来を悲観しない生き方と考え方を学んでいる

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人間としてこの世に生まれてしまったら、何がどうなったとしても、いつか必ずこの世とのお別れがやってくる。

考えると、ちょっと寂しいような、怖いような、切ないような、いろんな感情が混じりあって変な感じになる。

寝ているときと同じ感じになると言われても、いまいちよく分からない。

そして、あらゆる不安の源でもあると思う。

それがいつ来るかは誰にも分からないし、もちろん自分自身ですらも分からない。

仮にこのくらいまで生きると仮定したとしても、そこから逆算して物事を考えてみてもいつ死ぬか分からないのだから無意味なだけである。

だからといって、将来のことを考えない訳にはいかない、将来に対して何も対策をしていなければ、後になって後悔するだけである。

「あの時もっと将来のことを考えていれば良かった」と。

しかし、忙しくてゆとりのない生活を毎日送っていると、将来に対してやるべきこと、やりたいことがおろそかになっているのも確かである。

せっかくの人生を無駄にしているのかもしれない。

なので、今のこの瞬間から将来を悲観しないために、限りある自分の時間を大切に扱って将来を悲観しない生き方と考え方を構築していかなければならない。


将来の不安には備える

人間は未来を予測して備えることができる。

備えあれば憂いなし

それこそが人間が生きていくための目的だと思う。

最初は防災グッズをそろえるような感じで始めてみる。

災害はいつやって来るか分からないが、将来はいつか必ずやって来るから。


ちょっとでもいいので必ず貯金する

生活に支障がない程度でいいので毎月必ず貯金する。

何かを購入するためではない、少しでも将来を悲観する割合を減らす目的のためである。

自分が将来、安心できると思う金額を設定して貯金しておく。

お金がいくらあっても将来の不安が消えないと感じたら、ないときよりも圧倒的に解決できる物事が増えると思い込むようにする。

そしてそれを安心に置き換えていく。


不安に対しての保険があるなら入っておく

将来に起こりえる可能性があり、つねに不安に思っていることには保険をかけておく。

世の中にはたくさんの保険会社があり、たくさんの種類の保険があるので多少の安心はお金で買うことができる。

「転ばぬ先の杖」である。

知ることの大切さを知る

不安というのは将来どうなるか分からないというものが心の奥底から湧いて出てくる。

具体的に将来を予測しようとしても、そのことを知っているのと知らないのでは雲泥の差がある。

知ることで不安が軽減する場合もあるので、不安に関係のある本を読んだり、人に聞いたり、検索して調べたりして対策を考慮する。

そして心構えを身につければ、将来を悲観する割合は減っていく。


不安なら何かを信じてみる

信じる者は救われると聞いたことがある。

どうしようもない不安で押しつぶされそうなときは、何かを信じてみる。

救われるというのはあの世にいってからではなく、何かを糧にして生きていくことを支えてくれる事だと思う。

まずは自分自身を信じることから始める。


そして……あきらめる

この世に生まれてしまったら、後は死に向かって歩んでいくだけ。

いくら格差や差別や偏見があってもすべての人間に分け隔てなく平等に与えられているのが「死」である。

このどうすることもできないことに対して不安を抱き悲観しててもしょうがない。

いつか必ず誰にでもやって来る例外のないことだと思い潔くあきらめる。

そして生きている今に焦点をあてる。

自分が存在していることの不思議。

自分が生きていることの不思議。

世界が存在していて認識できることの不思議。

不思議なことなんて数え上げたらきりがない。

いろんな物事に意識しながら目を向けるようすれば、当たり前のことなどひとつもないことに気づく。

自分自身が歩める人生は自分自身だけのもの。

できるだけ将来に対しての不安からくる悲観を軽減して、自分に与えられた貴重な時間を有意義に過ごすことが人生最大の目的、目標だと思う。

何とかしてやる気を出しながら……。


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イラスト:「イラストAC」bonbon

投稿:2021.1.30 土曜日

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