「どこに行っても自分がいる」という言葉の意味

自分で自分を探している人間




どこで、いつ、だれからこの言葉を聞いたのか、それとも何かのメディアで見たのかは忘れてしまったが、特定の条件を満たすと「どこに行っても自分がいる」という言葉が脳裏に浮かぶ瞬間がある。

その条件とは……それは、嫌な気分になってから、いつまでも切り替えができなくて、どこに行っても何をしても、楽しくないときである。

初めて知ったとき、あまりにも当たり前のことだと思い、当初は本当の意味を理解することができなかった……。

しかし、時間がたつにつれだんだんと意味が分かるようになってきた。

この自分とは、自身の心のことであり、どこに行っても体といっしょに心もついてくるということ。

正確にいうと心の状態、気分のことである。

気分が良いときはどこに行っても気分が良く、気分が悪いときはどこに行っても気分が悪いということ。

なので、楽しめる場所に気分が悪いまま行っても楽しめないし、楽しくない場所に行っても気分が良ければ楽しめるかもしれないということ。

人間は自身の気分次第で、ものの見方が変わってしまう。

気分が良ければ多少のつまらないことも大目に見れて楽しめるかもしれないが、これが気分が悪いと些細なことでも勘にさわり余計つまらなくなる。

本当は楽しい場所かもしれないのに、つまらないということだけが記憶に残り二度と足を運ばなくなるかもしれない。

人生とは楽しいものだといつも思っていればどこに行っても何をしても楽しいし、人生はつまらないものだといつも思っていればどこに行っても何をしてもつまらないものになってしまう。

要は心の持ち方で人生そのものが変わってくるというのが本当の意味だと思う。

なので最低でもフラットな心の状態、もしくは穏やかな心の状態を維持できればもっと世の中が良くなって見えるのでは、と思ったけど、う~ん、やっぱり無理かな、それができないのが人間なんだと思う。

でも、楽しくしようと意識して生きていけば、どこに行ってもやる気を出して新たな楽しみを見つけることができれば、有意義な人生を送ることができるようになれるかもしれない。





イラスト ちょこぴよ

投稿:2022.1.20 木曜日

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