不確定な世界で「絶対」を語る意味

絶対という文字が筆で書かれている




言葉は人間にとって非常に重要なコミュニケーションツールである。

しかし、その中には、我々の日常的な感覚では理解しがたい概念も多く含まれている。

例えば「無限」や「永遠」という言葉は、時間や空間に限界を持つ人間には、その広がりや終わりのない状態を完全に理解するのは難しい。

たとえ数学や哲学といった専門的な文脈で「無限」が論じられていたとしても、それを直感的にとらえるのは容易ではない。

こうした言葉を耳にしたとき、「なんとなく」ではなく、「それは具体的に何を指しているのか?」と一歩踏み込んで考える習慣を持つと、言葉に振り回されにくくなる。

また、理解しがたい言葉の一つに「絶対」というものがある。

昔、知人が「絶対というのは絶対にない」と言っていたことがあった。

当時の自分にはその意味がよくわからなかったし、「そんなの考えるだけムダ」と思っていたので、「ふ~ん」と軽く流してしまった。

でも、今になって思い返すと、その言葉は、世の中で使われる「絶対」という言葉への疑問や警戒心を示していたのかもしれないと感じるようになった。

日常会話で「絶対」という言葉を使う人たちは、自分の意見や主張を強く伝えたいときに、この言葉を持ち出すことが多い。

「絶対に成功する」とか「絶対に負けない」といった具合に。

でも、よく考えてみれば、その人がどんなに強い口調で「絶対」と言っていても、それが現実の出来事と一致するとは限らない。

むしろ、「絶対」という言葉を安易に使っているときこそ、内容の裏付けが弱い場合もあるので注意が必要だ。

実際、詐欺的なセールスや誤解を招く広告などでも「絶対に儲かる」「絶対安全」といった言葉が使われていることがある。

そうした場面で「絶対」という言葉をうのみにしてしまうと、思わぬリスクを背負うことにもなりかねない。

今になって考えてみると、「絶対というのは絶対にない」というあの言葉は、人が使う「絶対」ほど信頼できないものはない、という警告だったのかもしれない。

実際、論理的に見ても、人間の言う「絶対」が本当に「絶対」であることは稀である。だからこそ、「絶対」を連発する人の言葉には、少し立ち止まって疑ってみる姿勢が必要なのだと思う。

ちなみに、「絶対」の定義を調べてみると、「他に比較するものや対立するものがなく、何ものにも制約・制限されないこと」とある。

この定義を見ても、「絶対」という言葉はある種の理想や抽象的な概念に近く、我々が日常的に軽々しく使うべき言葉ではないのかもしれない。


不確定な世界

そもそも、我々が生きているこの世界そのものが、不確定なものに満ちている。

今日晴れると思っていたのに急に雨が降ることもあるし、ずっと元気だった人が急に倒れることもある。

信頼していた人に裏切られることもあれば、思いがけないタイミングでチャンスが舞い込んでくることもある。

そんな不確定な現実の中で、「絶対」という言葉は、もはや意味をなさない。

もちろん、「絶対に遅刻できない会議」とか「絶対にやらなきゃいけない仕事」みたいに、気持ちを引き締めるために使う場面もある。

でも、だからといって実際に「絶対に」それを守れる保証があるかというと、そうでもない。

どれだけ早く家を出ても、電車が止まれば遅刻するし、体調を崩せば仕事どころではなくなる。

つまり、「絶対」という言葉は、言う側の意思の強さや理想を表しているだけで、現実の不確定さまでは覆い隠せないということだ。

にもかかわらず、「絶対」という言葉には、どこか安心感や説得力があるように聞こえてしまう。

それが厄介なところで、人はつい「絶対」という言葉に期待したり、頼ったりしてしまう。

だけど、よく考えてみれば、「絶対」と言っても、たいていはその人の主観にすぎない。

実際、未来に起こることを100%予測できる人などいない。

成功するかどうか、失敗するかどうか、結果はやってみなければわからないし、世の中には無数の偶然や想定外がある。

そうした不確定な世界に生きている以上、「絶対」を前提に物事を判断したり、人の言葉を信じすぎたりするのは、むしろリスクですらある。

それよりも、「もしかしたら」「場合によっては」「今のところはこう考えている」といった不確かさを受け入れる言葉のほうが、よっぽど現実的で信頼できる。

結局のところ、不確定な世の中で本当に大事なのは、「絶対」ではなく、「柔軟さ」なのかもしれない。





イラスト:「イラストAC」chappy05

投稿:2021.5.20 木曜日

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