「羨ましい」という感情に心が振り回される

隣の芝生を見て「羨ましい」という感情になっている人間




どうして人間にはこんなにも多様な感情が存在するのだろうか?……この問いは日常的に直面する感情の変化の度に頭をよぎる。

過去を振り返るとき、未来を想像するとき、そして今この瞬間ですら、感情は何かしらの理由で移り変わる。

それ自体が時には煩わしく感じられることもある。

特に、他人への羨ましさを感じてしまうと、大切なやる気が削がれてしまうことが結構ある。

これは、他人との比較から発生する感情で、対象や状況によって変わる厄介なものだ。

ポジティブな心の状態なら他人と比較しても、自分は自分、他人は他人と割り切れる。

それに、羨ましい感情から憧れに発展すれば、いつしか自分もそうなってやるという向上心が芽生えてやる気が発生する可能性もある。

一方で、ネガティブな状態だと、羨ましさが嫉妬や怒り、憎しみに変わってしまうこともある。

仮に、自分が嫌いな人間と比較してしまい、相手のことを羨ましく感じてしまったとする、そして相手がそのことで優越感に浸っている可能性があると考えてしまうと、腹まで立ってくるようになる。

そして、同時に自分はその人間よりも劣っている、と感じて劣等感にも悩まされるようになる。

これだけでも心が苦しくなり疲れてしまう……。

だんだんとそんなことに捕われている自分自身にも腹が立ってくるし、もしその人間と同じような境遇に生まれていたら、同じような環境で育っていたら、同じように容姿が良かったら、同じように頭が良かったら、同じように運が良かったら、こんな思いはしなかったのに、と考え始めると途轍もなく虚しいという感情も湧き起こる……。

ただ、ネガティブな感情が長く続くと心まで蝕まれていくこともあるが、それだけではない。

ネガティブな感情も時には自己改善や問題解決のきっかけとなることもある。

たとえば、不安や嫉妬を感じたとき、それを原動力にして自分を成長させることができるかもしれない。

だからこそ、感情をそのまま受け入れ、時にはその力を借りて前に進むことも大切である。

比較も避けるだけでは解決しないことがある。

比較をうまく活用することで、自己の成長やモチベーションにつなげることもできる。

ただし、感情を無理に抑え込んだり、誤魔化そうとするのは注意が必要だ。

無理やりポジティブな思考にしてしまうと、逆に後で感情が溢れ出ることもある。

感情は自然に受け入れ、冷静に向き合うことが重要だ。

他人の成功を目標にすることで、自分の目標設定が明確になり、それが新たな挑戦への意欲を掻き立てることもある。

それでも、どうしても比較ばかりしてしまう自分がいるのも事実だ。

そういうときは、他人との接点をなるべく減らして、羨ましいと思う頻度を減らしていくしかない。

どうしてもそういうシチュエーションになりそうなら、無理矢理ポジティブ思考にして自分を誤魔化していく。

ただし、それが根本的な解決ではないことを覚えておくこと。

思い出して腹が立ちそうになったら推しや趣味などの没頭できるもので上書き。

それも、一時的な解決策に過ぎないが、そうした方法も時には有効だ。

あとは適当に諦め加減で過ごす。

完全に諦めるのは避けたいところだが、時には肩の力を抜くことも重要だ。

そういうふうな境遇に生まれてしまったのだからしょうがない。

そういうふうな環境で育ったのだからしょうがない。

そういうふうな容姿、能力を携えて生まれてきたのだからしょうがない。

みんな何かしらのことをしょうがないと諦めながら生きているので、適度にあきらめることも生きやすさにつながる。

ただ、何事も諦めすぎると成長の機会を失うこともあるので、バランスを大事にするべきである。

あとは、あまりいい方法ではないが上があるということは下もあるということを意識してみる。

比較に頼りすぎないよう気をつけながらも、時には自分が持っているものを再認識するのもひとつの手である。

もしかしたら、こんな自分でも他人から羨ましく思われているものが何かしらあるかもしれない。

それに、自分の価値は他人との比較だけで決まるものではないことを忘れないようにしたい。

あとたかだか数十年の命なので、そんな羨ましい感情に振り回されている時間はもったいない。

なので毎日自分に言い聞かせている呪文がある「自分は自分、他人は他人」いつしか呪文の効果が現れることを信じている……。





イラスト:ちょこぴよ

2022.6.20 月曜日

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