価値のない虚構に価値を与える
道端に転がっている石ころに、「持っているだけで幸福が訪れるスーパーストーン」というキャッチフレーズを付けてみる。
そして、売り出すときの値段を100円くらいにして販売する。
もしかしてと思って買ってくれた人間が望んでいた幸福が訪れなかったとしても「100円だからしょうがない」と諦めてくれると思う。
しかし、もしこれを1万円で売ったとしたら……望んでいた幸福が訪れなかった場合は詐欺で訴えられてしまうはずである。
価格が高いほど物に対する価値観が変わることを考えると、人間は価格によって価値を感じる傾向ががあるように感じる。
「そんなもの買ったりしない」「そんなものには自分は騙されない」と思うかもしれないが、世の中には価値のない虚構に対して、誰かが勝手に価値を与えたものに、惜しみなくお金を払っている人間がたくさんいるのも事実である。
価値を植え付けられる
物心がつくまでの子供には価値という概念は存在しないと思う。
もし、本能で感じているとすれば価値があるのは母親か、もしくは世話をしてくれる人間くらいだろうか?……。
そして、物心がついた後には、子供時代に見たり聞いたり触れたりして影響を受けたものや、成長過程で周りにいた人間に価値観を植え付けられたりして、価値のないものに価値を見出していくと思う。
だから人間の価値観はそれぞれ違うものになってしまう。
価値の決め方
やっぱり造るのに時間がかからないものや劣化しやすいもの、どこにでもあるものや誰にでもできることは価値が低く設定されるので値段も安いと思う。
逆に造るのに時間がかかるものや劣化しにくいもの、希少なものや資格がないとできないものは価値が高く設定されているはずである。
虚構に価値をつける
千円札には千円の価値がある。
千円で買える物には本当に千円の価値があるんだろうか?。
物の価値は原料の手に入りやすさ、製造時間と手間、流通の方法、販売のしかたなどで値段が決まってくる。
これらは誰かが決めたことであり、条件が変われば価値も変わってしまう。
もともとあらゆるものには価値というものは存在しない。
人間がつくった虚構に価値を与えているだけである。
そしてその虚構を信じているおかげで人間社会がなんとなくうまくいっているのかもしれないのは確かである……。
新たな虚構をつくれば新たな価値が生まれる
冒頭で述べた石ころも、持った途端にたまたま幸福が訪れたとしたら、そして購入者が価値があると確信してしまったら……。
その石ころには価値があることになる。
たとえ虚構であっても、価値のないものに価値を与えることができるのが人間だと思う。
これまでにもたくさんの虚構がつくられ、そしてたくさんの価値のないものに価値を与えてきた。
これからつくられる新しい虚構にも新しい価値が生まれると思う。
価値があると思う人間
会ったこともない知らない人間には、当たり前だが価値を感じないと思う。
それでも、何かを成し遂げようとしている人間や何かを成し遂げた人間を後から知ったときには価値がある人間だと思う。
世の中では、権力がある人間やお金を持っている人間の価値を高くみているように感じるが、価値観は人それぞれなのでよく分からない。
自分自身には最高の価値をつける
大切なものや愛するものには価値を感じると思うが、本来は自分自身にこそ最高の価値があると気づくべきである。
今この瞬間、生きているというだけで価値がある。
そう思える自分というものが、確かに存在しているということに価値がある。
投稿:2021.11.15 月曜日