他人を見返してやるための怒りとやる気

他人を見返してやるために怒りによりやる気が全開になった女性




たまにだけど、過去の人間関係で腹の立つ出来事を思い出すと、純粋な怒りが湧いてくるときがある。

これは過ぎ去った過去だからであり、過去の出来事と因果関係がある未来を予測してしまうと、怒りから不安に変わることがあるので純粋な怒りにはならない。

純粋な怒りって何?……どんな感情なの?……と聞かれてもどういうふうに説明したらいいか分からないけど、心に負荷がかかっていない状態、だと思う。

心に負荷がかかっていないけど頭の中は怒りでいっぱい的な感じ……。

寝るときに始まる反芻は、怒りと不安が入り混じって心に負荷がかかって眠れなくなる。

たぶんこれがストレスと呼ばれるものだと思うが、純粋な怒りの場合は心に負荷がかかっていない状態、なのでストレスとも違うと思う。

その怒りの先には見返してやりたいという思いがあり、自らの劣等感が引き金になっている。

その劣等感を克服して他人に対して優位になり、見返して優越感に浸りたいという目標が有るから、嫌な感じにならない怒りが発生するのかもしれない。

その怒りが発生しているときは何故なのか分からないが、やる気も発生して体がスタンバイの状態になっている。

そのふつふつと湧いてきている怒りとやる気を利用して、めんどくさいと思って先送りしてきた事柄に手をつけてみたら、なんと、見返してやりたいと思う事柄に関連性がなくても、その怒りとやる気を利用してめんどくさい事柄を勢いでこなしていけるようになった。

他人より劣っていたり、同じでも別に気にしないという人間もいるが、ほとんどの人間は他人よりも優位性を保ちたいと思っていると思う、ていうか生きるための生存本能だと思う。

単なる劣等感だけなら落ち込んだりするだけだが、見返してやるということは成長しなければならないという要素も含んでいる。

その見返してやるという怒りの感情が成長のために、やる気というものを引き出しているのかもしれない。

過去にバカにされたこと、恥ずかしく感じたこと、悔しかったこと、その事柄を思い出したとき、もし純粋な怒りが湧きおこってきたら、人間として生きていくための優位性を確保するために発生しているのかもしれない。

怒りを利用してやる気が出れば、いろんなことに挑戦できるし、その経験は自らの成長につながる。

怒りの感情は人間が生き残るための闘争本能だが、もしかして成長を促すために備わっている生存本能なのかもしれない。

そうやって成長して寛大な心を持つ人間をめざす。

そうすれば人間関係で悩まなくてすむようになれるかもしれない。

いや、純粋な怒りのためにも、やる気を出して人生を有意義なものにしなければならない。





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イラスト:gontyan

投稿:2021.10.25 月曜日