依存の必要性とリスク
依存が人間にとって必要かどうかは、意見が分かれる問題だと思う。
依存とは、何かに頼らなければ生きていけない状態を指し、極端な場合にはギャンブル依存症やアルコール依存症のように病的な状態にまで発展してしまうこともある。
子供の頃は親に依存しなければ生きていくのが難しいし、大人になると社会や仕事、お金や家族などに、ある程度の依存は必要になってくると思う。
ただし、その依存が無意識に深まりすぎると、問題が生じてしまうこともある。
たとえば、会社に依存している人間がいるとする。
その人たちは仕事に不満を抱えながらも、会社にしがみつき、日々愚痴をこぼす。
転職や環境改善のための努力をすることなく、「仕方ない」と現状に甘んじてしまう。
そして、本人だけでなく、周囲の人間関係にも悪い影響を与えてしまうことがある。
一方で、社会や家族、友人、ペットなどに支えられることは、人が健やかに生きていく上でとても大切なことだと思う。
人間は本質的にひとりでは弱い存在で、誰かや何かに支えられながら日々を生きている。
その意味で、「依存=悪」だと一概に決めつけることはできない。
ただ、自分が何に依存しているのかを自覚しておくことは大事だと思う。
その依存がもし失われたとき、自分はどうなるのか――そこを想像しておくことで、依存に縛られすぎずにすむし、精神的にも安定しやすくなる。
依存対象を失ったときの不安から逃れるためには、少しずつでも「自分自身を支える力」を育てていくことが重要なのかもしれない。
たとえば、他人の評価だけに頼らず、自分で自分を認める練習をしてみる。
何かに頼る前に、自分でできることはないか考えてみる。
そうした積み重ねが、精神的な自立につながっていく。
依存しないように生きていくことができれば、自信もつきやすくなり、たとえ何かを失ったとしても、自分自身で立ち直れる強さが身についてくると思う。
そのためには、依存対象がなくなったときには潔くその喪失を受け入れ、自分をより深く見つめる機会に変えていくことが大切なのではないだろうか。
やる気と依存
依存とやる気は、対極にあるようで、実は深く関係しているように思う。
誰かに頼り切ってしまうとき、人は自分の意思で動くことをやめてしまうことがある。
たとえば、誰かが何とかしてくれると思っていると、自分から行動しようという気持ちが薄れてしまう。
そういうとき、「やる気」は静かに消えていく。
逆に、自分が責任を持って何かをやろうとしたとき、そこには自然とやる気が生まれてくる。
たとえば、「この仕事は自分に任されている」「これは自分の人生だ」と思えたとき、人は前向きになれるし、自分から工夫して動こうとするようになる。
それが、内側から出てくるやる気につながっていくのではないだろうか。
もちろん、人間は完全な自立などできないし、ときには誰かに頼ってもいい。
ただ、やる気を持ち続けるためには、「自分で決める」「自分で動く」という感覚を失わないことが大事だと思う。
もし今、やる気が出ないと感じているとしたら、それは自分が何かに依存しすぎてしまっているサインかもしれない。
たとえば、「親がこう言ったから」「会社が決めたから」「みんながそうしてるから」といった理由で動いていると、自分の意思が置き去りになってしまう。
その結果、やる気が湧かなくなってしまうのも無理はない。
やる気とは、依存の外にあるものだ。
「どうしたいか」「何を大切にしたいか」と、自分に問い直すところから、少しずつでも取り戻していけるものだと思う。
だからこそ、依存に気づき、それを手放す勇気を持つこと。
それが、やる気というエネルギーをもう一度、自分の中に灯すための第一歩になるのかもしれない。
投稿:2021.10.20 水曜日