依存対象を自分自身にして強くなる

他者への依存を無くし自信にみなぎる女性




人間にとって、依存というものが必要なのか否かは意見が分かれる問題だと思う。

依存とは、何かに頼らなければ生きていけない状態であり、自己のコントロールを失った場合、依存症(例えば、ギャンブル依存症やアルコール依存症など)という病気なってしまう。

子供の頃は親に依存しなければ生きていくのが難しいし、成人として生きるためには、社会や仕事、お金や家族などに一定程度の依存をしていくようになると思う。

例えば、会社に依存している人間というのは、愚痴を言って周りの人たちに迷惑をかけながら会社にしがみついている人間のことである。

あまりにも愚痴ばかり言っているので「そんなに不満があるのなら辞めればいいのに」と言ったら、食べていけなくなるとか、他の会社に行っても同じだとか訳の分からない言い訳ばかり言って誤魔化していた。

その人間にとっては会社に対しての不満を自らが改善する、ということも考えてないし、転職すらも考えていない。

完全に依存してしまっているが、しがみついているとバレないように愚痴を言っているだけかもしれない。

そういう人間に限って、同じように会社の愚痴を言っている人間を見つけては「黙って働いていればいいのに」とまた愚痴をこぼす。

なんか変だし、どうしようもないし、最低だし、最悪だしで救いようもない存在である。

普通に働いている社員にとっては途轍もなく迷惑なので、さっさとやめて欲しいと思うが、このタイプの人間は最後(定年)までいるので厄介である。

あとは、自らが生きていくために存在している依存もあると思う。

社会や会社、お金や物、友人や家族やペットなど、あと推しとか……。

人間はなにかに支えてもらわなければならないくらい弱い存在なのかもしれない。

もし、拠り所にしているものを失ってしまったら……。

新たな依存先を見つけなければならない。

結局、失うかもしれないという不安からは逃れられない。

なので依存しないでも生きていくことが出来るようになれば、精神的に強い人間になることが出来るような気がする。

それは自分自身を信じることが出来るようになる、ということだと思う。

そういう人間になりたい。

なので、依存対象が無くなったら、きっぱりと諦める。

最後は自分自身しかいない、なので依存対象を自分自身に設定し直す。

そして、何事にもやる気を出して立ち向かっていくことが生きていくことだと思う。

たまには、なにかに頼ってもいい、人間は独りで生きていくのは困難な存在なんだから……。

ただ、依存対象を無くしたからといって自らの人生に悪い影響を与えてしまうようであれば、そんな依存対象はなくしたほうがいいのかもしれない……。





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投稿:2021.10.20 水曜日