オタマジャクシから学ぶ自然と人生の不確実性
かつて水たまりがあり、その中央付近のいちばん底が深かった場所に、オタマジャクシたちは寄り添うような形で死んでいた……。
これまでも死んだオタマジャクシを何度も見たことがあるけれど、今回の出来事はちょっと考えさせられてしまった。
自然界にいる生き物たちは環境の変化に影響を受けてしまうのだが、今回の件は運の要素を強く感じてしまった出来事だったからである。
なので、運に支配されている人間も例外ではないと思ってしまった。
梅雨時、毎日のように小雨が降り続いていたときの話。
水たまりがあり、毎日の雨のおかげでたまった水が無くならない状態が続いていた。
ある日、何かが動いているのを発見。
ボウフラでも繁殖しているのかと思いきや、なんとオタマジャクシだった。
親カエルはこんなところに卵を産んでいったらしい……。
ふ化したばかりだろうか、チロチロと泳いでいる。
こんな水たまりなんか雨が降らなくなったらすぐに蒸発するか、土に染み込んで水がなくなってしまう。
それに、食べるものもないのですぐに死んでしまうだろう程度に思っていた。
なので気にもしなかった。
しかし、その年の梅雨は水たまりを維持するかのように毎日、雨が降り続いた。
たまに見かけるたびにどんどん大きくなっていくオタマジャクシ。
最初はチロチロと泳いでいたオタマジャクシは狭い水たまりの中でウヨウヨとひしめき合いながら泳ぐくらいにデカくなっていた。
ここで疑問が湧いてきた、何を食べて大きくなったんだろう……。
微生物?それとも土から染み出した養分、もしかして雨の中に何かしらの栄養素があるのだろうか……。
気になったので調べてみたら蛙は昆虫などを食べる肉食だが、オタマジャクシ時代は草食らしい。
草食?……。
だとするとその水たまりには、雨雲で太陽の光が遮られた状態でも、わずかだが苔が生えていることになる。
それをみんなで食べて大きくなった、ということになる。
この大きさなら間もなく足や手が生えてくるし、えら呼吸から肺呼吸に変われば、いつ水が無くなるかもしれない不安定な水たまりから卒業していくことができる。
あともう少しの辛抱でカエルになれる。
毎日降り続いていた雨もいつの間にか止んでいて何日か経っていた。
あの水たまりの水は無くなっていたからみんな巣立っていったと思っていたが、そこには以前オタマジャクシだったらしき黒い塊があっただけだった。
このとき、運命という言葉は結果を知ってからしか使えないものだと思った。
こうなることは予想していたが、もしかして、という思いもあった……。
こんなところに卵を産んだ親カエルが悪いのか、それとも雨が止んで水たまりがなくなり環境が変化したせいなのか、こんなことは自然界ではよくあることだと思った反面、人間も親の行動次第や子供が育つ環境によって将来が変わってくるのはあのオタマジャクシたちと同じなんだと思ってしまった。
親ガチャ……。
自分自身を自分でなんとかできるまでは自然界も人間の世界も同じで、限りなく運の要素が強い。
それに、裕福な家庭に生まれれば成長過程でのお金の心配は要らないと思うが、そうじゃない家庭で育つとお金に関する苦労をすることになる。
自分もそうだった、そしてそのときに劣等感というものを植え付けられた。
自然界で生き残るには環境と運がすべてだと思うが、人間の世界でも生きていくのに環境と運は大切な要素だと感じる。
生きるってそういうことかもしれない。
たけたま
投稿:2021.10.10 日曜日