他人に貢献しすぎると心が疲弊する

他人に貢献しすぎて疲弊する心




他人に貢献する、なんか、とってもいい言葉に聞こえるんだけど……。

それに、見返りを求めないで他人に貢献すると幸福になれる、とも聞いたことがある。

もしかして、他人に貢献することは人間関係を良好にするためには必要不可欠なものなのではないだろうか……。

しかし、今までの人生でのことを思い返すと、それは間違いだとすぐに気づいてしまった……。

この世でいちばん貢献すべき存在は自分自身、自らが自らに貢献するのが最優先である。

他人に貢献するのは自らの欲を満たした後に、他人に貢献したいという思いが心の中からあふれ出たとき、そして見返りなんて微塵も考えてないとき、それが最善のような気がする。

それでも、余計なお世話になったりすることもあるので注意は必要である。


見返りを期待しないで貢献する

無理、自分はそんな人間じゃなかった……。

今までの経験を思い返してみると、最初は見返りなんて微塵も期待しないで貢献はできるのだが、その後に相手の言動や態度によって不愉快にさせられたりすると、「あの時やってあげたのに」という思いが貸しのような感じで出てきてしまう。

見返りというのはなにも、やってあげたことに対して相応のものでなくて、最低限こちらを不快にしてほしくない、フラットな状態でいたいというのが含まれていることが時間の経過とともに分かってきた。

貢献している時点では見返りを求めていないのに、後に相手から不快にさせられたり、腹が立つ言動があったりすると、その相手に貢献したときのことを思い出してしまい「恩を仇で返す人間だ」と思ったりして、貢献なんてするんじゃなかったと思うようになってくる。

こういうふうになるということは、貢献した後に相手からどんなに不快なことをされても心を乱さず、さらに貢献していける人間が幸福になれるということなのかもしれないが……。

そんな人間なんているのかって感じだけど、世の中広いから、もしかしたらいるかもしれない。

自分はまだまだ心の狭い人間なのかもしれない……。


自分にプラスになる人間には率先して貢献する

これが理想であると思う。

こちらを快い状態にしてくれる人間に対しては率先して貢献するようにしている。

すると相手の返報性の法則も働いて相手も貢献してくるので、さらにこちらも貢献したくなる無限ギブアンドテイクの状態に突入して幸福があふれ出てきてしまう。

これが人間関係を良好にするために必要な「相手のことを自分のことのように考えて行動する」ということだと思う。

ただし、ちゃんと考えて貢献しないと「余計なことをして」と思われる可能性もあるので、あまりおせっかいをやかないようにしないと……。


貢献すべきではない人間

自分の心が拒否している人間に対しては貢献しないようにしている。

何かをやってあげたとしても、そんなことあったのって感じで自らのことしか考えられないどうしようもない人間のことである……。

たとえば、足を引っ張るような人間に対して貢献なんてしたとしても、どこまでいっても足を引っ張られるのがオチである。

さらに、貢献されたことを当たり前の行為だと勘違いしている人間や、貢献されるべきだと思い込んでいる人間にも注意が必要。

そういう人間にいくら貢献したとしても時間の無駄になるのは必然であり、下手をすると自分の心まで疲弊して病んでしまう可能性もあるかもしれない。

要はそういう人間に対しては距離をとるしかないということ。

よりよい人間関係を構築するための貢献は、まともな人間に対してのみである。

どうしようもない人間になにをやっても無意味である。


自分のために他人に貢献する

あまりいい言葉には聞こえないが、これが正解だと思う。

見返りなんて求めても求めていなくても、最後は自分のメリットになることを考慮して他人に貢献する。

誰からも感謝されないとしても、単なる自己満足につながればそれはそれでいいと思う。

間違ってもこちらの心を乱してくる人間には貢献しない、それが人間関係で重要なことのような気がする。

ていうか、最重要である。





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イラスト gontyan

投稿:2021.12.30 木曜日