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貢献の本質と幸福のかたち

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他人に貢献することは、ぱっと見、とでも素晴らしい行いのように思える。 また、見返りを求めずに貢献することで幸せを感じるとも言われている。 確かに、良好な人間関係には貢献が重要な役割を果たしているかもしれない。 しかし、自分の経験上、必ずしもそれが幸福に結びつくとは限らないと感じることもある。 なにより大切なのは、まず自分にしっかりと向き合い、自分自身に満足することだと思う。 そうして心が満たされたとき、自然と他人にも貢献したいと思えるようになると思う。 そのとき初めて、純粋に見返りを求めない行為が生まれるのだと思う。 ただし、貢献する際には、相手に迷惑をかけないよう気を配ることも大切である。 善意がかえって余計なお節介と取られることもあるからである。 貢献しても幸福を得られない理由 過去の経験から、たとえ見返りを求めずに貢献したとしても、相手の態度や行動が期待とは違うと「あの時に貢献したのに」と感じることがある。 貢献が無私の行為であっても、後になって自分の感情が揺さぶられるのは避けがたいものだが……。 貢献で幸福感を得られる人は、物事を割り切れるタイプだと思う。 自分はまだそこまで割り切れないと感じている。 貢献に適した相手とは 理想的には、自分にとってプラスとなる相手に貢献することが望ましい。 そうした相手からも同じような貢献が返ってくると、双方が幸福感を得られ、良い関係が築けると思う。 とはいえ、無条件で貢献するのではなく、相手の反応や状況を観察し、無理なく続けられる範囲で行うことが重要である。 貢献を控えるべき相手 一方で、自己中心的だったり、貢献を当然と思うような相手には、貢献は控えるべきである。 こうした相手には感謝されることもなく、結果的に自分が疲れてしまう。 このような人とは適度な距離を保ち、自分の心を守ることが大切である。 自分のために貢献する 自分のために他人に貢献する、という考え方も大事である。 見返りの有無にかかわらず、最終的に自分にプラスになるような行動を選ぶことが、良好な人間関係を築くための鍵になると思う。 感謝されないことがあっても、それを自己満足と受け入れることで、長期的な幸福につながるのではないのだろうか。 ...

「楽して儲かる話」には乗らないように注意していること

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「楽して儲かる」……えっ、そんな仕事なんてこの世にあるのかな?。 「誰でもできる」「簡単」「短時間で高収入」……なんか、その仕事のことが気になってきた。 挙句の果てに「初期費用無し」……なんて言われたら、いてもたってもいられなくなってくる。 ネット等でそういう広告を見かけると「世の中には他人に儲けさせてくれる親切な人間もいるんだ~」と嬉しく感じてしまう。 だけど……「絶対に損はしない」とかって言われると、なんかその仕事の内容が怪しく感じてきてしまう。 お金に関することで「絶対に損はしない」とか「絶対に儲かる」とか言われるのは、冷静に考えてみれば不自然なことである。 なぜなら、どんなビジネスにもリスクが存在するからだ。 例えば、商品を売る商売だと、仕入れた商品が売れ残ったり、価格が下がってしまうリスクがある。 投資であれば、市場の変動によって元本割れするリスクもある。 つまり、「絶対に損しない」などという約束ができる人はいないし、そんな話があればむしろ警戒すべきである。 それに、そもそも「儲け話を他人に勧める」という行為自体、少し怪しい感じがする。 もし本当にそんなに儲かるなら、自分だけでやればいいはずだ。 例えば、あなたがすごくおいしいケーキのレシピを持っているとしたら、他の人に教える前に自分でそれを作って売ってみたいと思うはずだ。 それなのに、わざわざ他人に教えてくれるということは、その話には裏があるのかもしれないと思ってしまう。 一方で、「儲け話を勧める」ことが全て悪いわけではない。 例えば、フランチャイズビジネスというものがある。 フランチャイズとは、ある企業(本部)が、自分のビジネスモデルを他の人(加盟店)に提供し、その代わりにロイヤリティ(権利使用料)を受け取る仕組みだ。 コンビニエンスストアのセブンイレブンやファーストフードチェーンのマクドナルドなどが代表的な例である。 この場合、フランチャイズ本部は加盟店に対してビジネスのノウハウやブランド力を提供し、加盟店はその見返りとして本部にロイヤリティを支払う。 成功すれば、両者ともに利益を得られる可能性がある。 しかし、フランチャイズビジネスにもリスクはある。 ...

人間が生きる意味ってなんなんだろう

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人間が「生きる意味」を探そうとするのは、地球上の生命体の中でも特別ことかもしれない。 生物学的に見れば、生き物はただ生まれ、成長し、子孫を残し、そしてやがて死んでしまう……。 これが自然の摂理である。 しかし、人間はそれ以上の何かをもとめて「自分は何のために生きているのか」という問いを抱いてしまい、答えをさがしてしまう……。 生きる意味を考え始めると、その答えはあるようでないように思える。 非常に曖昧で捉えどころのないテーマだが、それを考えること自体が人間に与えられた特別な能力であり、時には「なぜこんなにも複雑な生き物に生まれてしまったのか」と嘆くときもある。 それでも、せっかく人間として生まれたからには、生きる意味を見出し、たった一度きりの人生を全力で生き抜く価値があるのではないのだろうか……。 生きる意味を見つけるヒント 社会の中での役割を果たす 人間は他者とのつながりの中で自分の存在意義を感じることが多い生き物である。 家族を支えるため、友人と助け合うため、職場や地域社会で役立つ存在になること。 それらの関係性の中で、自分が誰かの役に立っている、必要とされていると感じられる瞬間に、生きる意味を実感する人も少なくないと思う。 自己実現を追求する 生きる意味を「自分自身の成長」や「目標の達成」に見出す人もいる。 例えば、芸術を愛する人は作品を通じて自己表現を楽しみ、研究者は新たな発見で人類の知識を広げようとする。 何かを極めたり、挑戦し続けたりするその過程そのものが人生を充実させ、生きる意味を形作るのかもしれない。 小さな幸せを積み重ねる 「幸せになるために生きる」という考え方も自然なのかもしれない。 美しい景色を眺めること、美味しい食事を味わうこと、大切な人と笑いあうこと。 これらの日常の中の小さな喜びが積み重なることで、人生の意味が見えてくる場合もあるかもしれない。 生きる意を見つける過程そのものが意味 たぶん、ある哲学者が言ったことだと思うが「生きる意味を探すこと自体が、人生を豊かにする」と聞いたことがある。 答えは、あらかじめ用意されているわけではなく、自分で見つけていくものかもしれない。 何かに迷ったり、悩んだりすることさえも、生きる意味を作り上げる大切な要素になると思う。 どんな意味でも、それは「自分のため」でいい もし生...