人の考え方は環境で簡単に変わってしまう
環境とは、地球環境のことだけを指すのではない。
自分の周りにあるすべての状況、その集合体のことである。
例えば、お金に困っている人は、「世の中はお金が全てだ」と感じやすい。
一方で、生活に困らない程度の蓄えがある人は、「世の中はお金が全てじゃない」と思っていることが多い。
では、世の中はお金が全てではないと思っているのなら、なぜ全財産を放棄して、お金に困っている人と同じ状態になろうとしないのだろうか。
……その答えは、意外と簡単だと思う。
それは、その人が置かれている環境が、そう思わせているからである。
お金がある環境にいれば、「お金がすべてじゃない」と言える。
しかし、もし何かの拍子で、ある日突然、無一文になったとしたらどうだろう。
その考えは方は、きっと簡単にひっくり返る。
そしてまた、「お金が全てだ」と思うようになるだろう。
環境を変えずに考え方だけ変えるのは難しい
よく「考え方を変えれば人生が変わる」と言われる。
しかし、それは半分しか正しくない。
なぜなら、考え方は環境から生まれるものだからだ。
お金がある環境にいながら、「お金がなくても大丈夫な考え方」を持ち続けることはできる。
だが、それはあくまで”仮の考え”でしかない。
実際に無一文になった瞬間、その考えは現実に耐え切れず、あっさり崩れる。
つまり、人は環境を変えずに、考え方だけを本気で変えることはできない。
先に変わるのは、いつも環境だと思う。
考え方は、その後から「仕方なく」ついてくる。
だから、誰かの考え方を見て正しいとか、甘いとか、間違っているとか、簡単に判断することはできない。
その人が、どんな環境に置かれているのかを知らない限り。
その考えは本当に自分で選んだものだろうか
人はよく、「自分はこう考えている」と言う。
まるでその考えを自分の意志で選び取ってきたかのように。
しかし、本当にそうだろうか。
もし、生まれた場所も、育った家庭も、持っているお金も、人間関係も、すべて違っていたとしたら。
それでも、同じ考え方をしていただろうか。
おそらく答えは、違うと思う。
自分の考えだと思っているものの多くは、実は、環境の中で「そう考えるしかなかった結果」にすぎない。
それでも人は、その考えを「自分らしさ」だと信じる。
なぜなら、そう思わないと不安になるからだ。
自分の考えが、環境次第で簡単に変わるものだと認めてしまうと、いままで信じてきた自分自身まで揺らいでしまう。
だから人は、環境の影響を見ないふりをして、「これは自分の考えだ」と言い張る。
だが実際には、環境が変われば、考え方も、価値観も、驚くほどあっさり変わる。
それが人間……だと思う。
だから他人の考えを簡単に否定できない
人の考え方は、その人が置かれてきた環境の積み重ねだ。
それを知らずに、「その考えは間違っている」「甘えている」「努力が足りない」と簡単に切り捨てるのは、あまりにも簡単すぎる。
もし自分が、同じ環境に生まれ、同じ条件で生きていたなら、同じ考えにたどり着いていた可能性は高い。
それでも人は、自分の環境を基準にして、他人の考えを測ってしまう。
なぜなら、その方が安心できるから……。
自分は正しい側にいる。
自分は間違っていない。
そう思っていた方が、心は楽でいられる。
だが、考え方が環境で変わるのだとしたら、「正しさ」そのものも、環境に依存していることになる。
そう考えると、他人の意見を完全に否定することも、自分の考えを絶対視することも、どちらも危うい。
考え方は環境の外に出られない
人は、自分で考えているつもりで生きている。
しかし実際には、その多くが、置かれた環境の中で自然と形づくられるものだと思う。
環境が変われば、考え方も、価値観も、良い悪いの基準さえも変わる。
それは弱さではない。
人間が人間である以上、避けられない性質である。
だから、今の自分の考えが「絶対に正しい」とも、他人の考えが「明らかに間違っている」とも、言い切れなくなる。
環境を疑うことは、自分を否定することではない。
むしろ、自分を少しだけ自由にする行為なのかもしれない。
この世界は、考え方でできているのではなく、環境によって、考え方が生まれている。
そう気づけたとき、人は少しだけ、他人にも、自分にも、優しくなれるかもしれない。