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嫌いな人間の幸せなんて願えない

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はぁ~、なんか気がつくと嫌いな人間のことを考えてイヤな気分になっちゃってるんだけど。 👀「えっ、またイヤな気分になってるの、そのネガティブ思考をなんとかしないと……」 人間はもともとネガティブ思考なんだからしょうがない。 👀「う~ん、そういえば嫌いな人間の幸せを願うと、その人間が消えるって聞いたことあるけど」 は?嫌いな人間を思い出しただけでイヤな気分になるのに、そんな状態で幸せなんて願える訳がない、ていうか消えるってどこかに行くの?。 👀「そう言われてみると、消えるっていったいどこに行くんだろう?」 それってたぶん、思い込みの作用かなんかで、相手の不幸せを願うより幸せを願っていたほうが、主語を理解できない人間の脳に幸せというキーワードをすり込んでいけるから、じゃないの。 👀「刷り込んで思い込ませる……」 そうやって長い年月をかけて刷り込んでいき「自分は幸せだ」と思い込ませていって自分を変えていく、とかっていうことじゃないのかな。 👀「自分を変える……」 そして自分が変わり幸せ波動を出せるようになれば、いつのまにか嫌いな人間もその波動に同調して幸せになり、こちらにたいしてイヤなことをしなくなる、とか。 👀「なるほど、そうやってイヤな奴が心の中から消えていくんだ」 そう簡単にうまくはいかないと思う、自分を変えるのは長い年月を必要とするからかなり難易度は高い、嫌いな人間の幸せを願って何十年後かに自分や相手が変わったとしても、それまでに受けたストレスにより自身の体が蝕まれて病気になってしまっていたら本末転倒、とんでもないことである。 👀「確かに、いくら幸せを願ってたって毎日嫌いな人間からのストレスは蓄積していってしまう、そうやって長い年月をかけていても、ストレスにより心や体を蝕んで病気になる可能性のほうが大きいかも」 ていうか、嫌いな人間を思い出しただけでイヤな気分になるのに、その嫌な気分で嫌いな人間の幸せを願っていたら、もしかしたら脳がイヤな気分になっていることが幸せだと勘違いしてしまったら、もう絶対に本当の幸せは訪れないかもしれない。 👀「脳って勘違いしやすいから注意しないと」 そんなことに時間を使うより幸せになってもらいたい人間の幸せを...

痛い思いから学ぶ感情コントロールの難しさ

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日常生活で「怒り」という感情に悩まされることは誰にでもあると思う……。 特に人間関係における怒りは強く、時には理性を失いそうになることもある。 自分も、その感情に何度も振り回されて翻弄されてしまった人間のひとりである。 そして、その怒りをうまくコントロールできず、恥ずかしながら痛い思いをしてしまったことがある……。 それも、同じ失敗を一度ならずも二度もやらかしてしまったので、反省の意味も込められているのである。 ある日、自分は、人間関係のもつれにより強い怒りに襲われてしまい、目の前にあった壁を思いっきり蹴っ飛ばしてしまった。 その瞬間はあまりいい気分ではなかったが、それはそれでおさまりが付かない怒りの矛先を誤魔化せたので仕方ないことだと諦めていた。 しかし、しばらくたってから次第につま先の痛みが増してきたので、靴を脱ぎ靴下を脱いでみると、なんと右足の親指の爪が真っ黒になっていたのである……。 その後、包帯を巻いて何日間も痛みに耐えながら過ごすことになってしまった。 結果的には、真っ黒になった爪は剥がれてしまい、後から新しい爪が生えてきたのであった。 この経験を通して、感情をそのまま行動に移すことがどれほど危険であるかを、痛感してしまった。 それでも、怒りを抑えることは容易ではなかった。 何年か後に、前回と同じ過ちを犯してしまったのである……なんて学習能力のない人間なんだろうと、自分で自分が嫌になったのである……。 怒りを感じた瞬間、我々は理性を失いがちで、冷静な判断が難しくなる。 深呼吸や「6秒待つ」というアンガーマネジメントの方法を試みても、瞬間的な怒りの前では無力に感じることもある。 しかし、この経験を何度か繰り返すうちに、自分は怒りの対応を少しずつ変えていくことを意識するようになった。 ひとつは安全策を講じること。 たとえば、今では怒った時に何かを蹴り飛ばしても怪我をしないよう、安全靴を普段から履くようにしている。 もう一つは人生に対する姿勢を少しだけ変えることに意識を向けた。 どんなに怒りを感じても、それが永遠に続く訳ではなく、いずれ消えるものだと自分に言い聞かせている。 そう考えることで、怒りの瞬間に立ち止まり、自分自身を客観的に見ることが...