幸せの感じ方は人それぞれ

温かいこたつに入って幸せを感じているウサギ




幸せの感じ方は個人によって異なるが、自身の体が欲していたり求めていたりすることを満たした時に、ほとんどの人間は幸せというものを感じていると思う。

逆に、自らの身体が求めるものを満たせない状況が続くと、身体からは不幸せだという警告が発せられているはずである。

身体からの警告を無視すると、命の危険が生じる可能性があるものもある。

いちばん身近に幸せを感じることは、やっぱり生命活動を維持するのに必要なものを補充された時だと思う。

人間の体の半分以上が水分なので、体内の水分が足りなくなると直ぐに喉が渇いたというかたちで水分補給を促してくる。

それだけ人間の体にとっては水分維持の重要性が高いから、乾いた喉を潤しただけで幸せを感じるようにできていると思う。

人間は食べなくても蓄えた脂肪をエネルギーに変換して、ある程度生きながらえることができるらしいが、人間の体には水分を蓄えておく代替機能が存在しないので摂取できない状態が三日くらい続いてしまうと命が危険な状態になってしまう。

猛暑日だったら一日も持たないかも……。

次は食べることにも幸せを感じると思う。

毎日の食事ではそんなに幸せは感じないと思うが、長期間食べることができなかった後や、好物を我慢した後などに食べると、かなりの幸せを感じられると思う。

あとは生命維持に欠かせない体温調整。

暑くてどうしようもないときに涼しい場所に行くと幸せになるし、寒くてどうしようもないときに温かい場所に行っても幸せを感じることができる。

痛い、かゆい、具合が悪いなどの症状が良くなった時も幸せとともに健康のありがたみも感じられる。

人間の体は何かしらの生命の危機になりそうなときに、命を守るために不幸せを感じさせ、達成したときにご褒美として幸せを感じさせているのかもしれない。

こうやってみると人間が幸せを感じられるシステムは、自らの命を守るため、状態を安定させるため、健康を維持させるためにあるような気もする。

身体が望むもの以外の幸せの場合、例えば、何かを手に入れたり、何かを達成したり、何かから解放されたりしたときにも幸せを感じることがあると思う、が、なんか今までの人生を振り返ってみると幸せを感じた瞬間がピークで、後は時間の経過とともに冷めていき、いつしかせっかく手に入れた幸せが当たり前のような状態になってしまう……。

さらに他人との比較からもっと上を目指してしまうと現状に満足できなくなり、当たり前の状態から今度は不幸せな状態だと勘違いが発生してしまう。

よりよく生きるという人間が持つ本能かもしれないけど……。

なので、人間に欲がある限り「安定した幸せを心が感じている状態」を維持していくのは難しいと思う。

生きているということはそれだけで幸せなはずなのに、人間社会では比較や不自由さのせいで不幸せを感じる割合の方が高くなってしまっている。

他人の価値観などに惑わされず自分なりの小さな幸せを探していくのも、人生のあり方のひとつだと思う。





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イラスト:ふれっきー

投稿:2022.9.5 月曜日