あらゆる人間に平等に訪れるもの
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この世には平等という素晴らしい言葉があるのに、我々人間に対してはまったく意味をなさない。
平等な社会を目指すといっても理想はどこまでいっても理想であり、現実には不可能に近い。
我々の本能に刻み込まれている、生き残るための優位性の誇示がそうさせているのだろうか?。
それでも、人間という生命体に生まれた以上、誰にでも必ず平等に訪れるものがある。
それはいったいなんなのか……。
何がどうなったとしても、この世に誕生してしまったら、いつか必ず命を失ってしまうということ。
あらゆる人間に平等に訪れるのはこれしかないと思う。
本当は全生命体にも平等に訪れるのだが、今回は人間に対してのみの話である。
自分が知っている範囲では、不老不死になって生きている人間はいないと思うので誰一人例外はないはずである。
たとえ幸福でも不幸でも関係ないし、金持ちでも貧乏でも関係ない。
権力があってもなくても関係なければ、天才でも凡才でも関係ない。
そして信仰心があったとしても、ないとしてもまったく関係なく命は失われる。
そして、自らの時間も止まってしまう。
本当は生きているときに平等であればいいとは思うが……。
それができないのが人間という生き物である。
先延ばしにしてもいつか必ず訪れる
平等に与えられているにもかかわらず、ほとんどの人間は命を失うことを受け入れられない。
そして本当に命を失うことを恐れている人間はこういうことをよく言う。
「死ぬのなんか怖くない」
なぜかこういう人間に限って人間ドックでの健診を欠かさなかったり、健康に気を使っていたり、老後の生活の心配をしたりしている。
そして年を取れば取るほど認められなくなり、こういうことをよく言うようになる。
「いつ死んでもいい」
頭の中では命を失うことへの不安を漠然と考えるようになり、心の内を悟られないために口癖になってしまっている。
自分が認めたくないことを、強がりを言って否定するのが人間である。
そうやって命を失う恐怖や不安と対峙している。
今は医療が発達して過去に治療不可能だった病気でも助かる確率が高くなってきている。
苦しい思いをしてその山を超えても、すぐに次の山があっという間にやってくる。
もっと険しい山が……。
そしていつかは……。
人間は平等こそ受け入れられない
人間は、唯一平等な命を失うことさえ受け入れられないのだから、生きているときの平等なんて到底受け入れられない。
だからいつまでたっても差別もいじめも偏見もなくならない。
そして人間関係でのストレスや社会に対しての不満ばかり溜まっていく。
きれい事を言ってもみんな自分のことで精一杯。
そして死を悟ったときにだれもが人生を後悔する。
もっとああすれば良かったとかこうすれば良かったとか……。
幸せだった頃のことを思い出さず、悔いだけが思い浮かぶ。
人生に満足していても、満足していなくても命を失うことを受け入れられない、それが人間という生き物……。
世の中に永遠という言葉はあるが、あらゆる生命体には当てはまらないと思う。
いずれ、生命体が存在しなかった頃にもどるだけである。
何事もなかったかのように……。
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イラスト:「イラストAC」kabu
投稿:2021.8.20 金曜日