思い込みを上手く利用できると思い込む

思い込みを利用して枠の模様を人間の横顔だと思い込む




なんとなくだが、自分は思い込みが強いほうだと感じている。

そして、バイアスといわれる偏った考えがとてつもなく強すぎるのでは、とも感じている。

子供の頃から、物事を極端にみていた傾向があったし、他人に対しての思い込みもとてつもなく極端だったと思う。

今もそうであるが、良いと思った人間はどこまでも良いし、悪いと思った人間はどこまでも悪く思ってしまう。

好きな人間と嫌いな人間がはっきりしていた。

そして、何があったとしても、心の奥底での感じ方に変化はなかった。

それに、世の中には自らのことばかり考えていてどうしようもない人間が多過ぎる、とも思い込んでいるふしがあると思う。

いつしか、思い込むって厄介なことだと思い込むようになっていった。

そして、頭が固いって言われていたことを思い出し、何とかできないかと思うようになっていった。


思い込みを利用できると思い込む

思い込みが厄介だと感じるようになってきた頃、この思い込みをうまく利用できないか、ということを考えるようになっていった。

思い込みなんだから変えられる可能性がある、と思い込んでみる、というような感じで。

とりあえず、頭が固くならず柔軟な思考ができるように、今までの先入観による偏見や固定観念を払拭していくことから始めていった。

そして、とにかく今までそうだと思っていた事柄をを疑ってみる。

いろんな角度から物事を見てありのままに受け入れられるように意識することを心がけた。

それに読書をしたり、自分のことを話すより他人の話を聞いたり、知らなかったことに興味を持ったりして視野を広げていった。

本やSNSなどは、あえて自分が思い込んでいたことの反対の内容や意見を読むようした。

そして感じたことは、自分は井の中の蛙だったということ。

恐ろしく狭い範囲の中で、自分は当たり前に物事を知っている普通の人間だと思い込んでいた。

それが哲学の本で読んだことがある「無知の知」だということに気づき、自分は何も知らないということが分かった瞬間、いろんなことが知りたくてどうしようもない気分になってしまった。


人間関係には利用できなかった思い込み

いぜん他人に対する思い込みを払拭することはできなかった。

いくら思い込んでいたとしても人間は感情に左右される。

自分を嫌な感情にさせる他人をいい人間だと思い込むことは不可能だった。

ていうか無理、いったい何なんだろう、あきれてくる。

なので、人間関係を思い込みで何とかしようと考えるだけ無駄。

こちらを不快にさせる、マウントを取ってくる、足を引っ張るなどの人間とは係わらない、距離を取るが正解。


他人の言葉を鵜呑みにしないと思い込む

自分は他人の言葉を信用しない、と思い込むのではなく、他人の言葉を鵜呑みにしない、と思い込むことにした。

なので、まったく信用しなくなったわけではない。

心をフラットな状態にして、この人が言っていることは間違いないとか、あいつが言っていることはデタラメだとか、その人間に対して持っていた感情とも切り離す。

情報は単なる情報として取り敢えず頭の中に仮に置いておき、肯定もしなければ否定もしない。

その中から必要な情報を取捨選択し活用するだけ。

信憑性が問われる内容はとにかく納得できるまで調べる。

なので物事の判断が慎重になった気がする。

なんとなくだが思い込みを利用しようと思い込んだおかげで、凝り固まった考え方から解放され、自分の世界が広がったように感じている。

と、思い込んでいるだけかもしれない。





イラスト:「イラストAC」おじょぼん

投稿:2021.2.20 土曜日

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