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思い込みを上手く利用できると思い込む

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なんとなくだが、自分は思い込みが強いほうだと感じている。 そして、バイアスといわれる偏った考えがとてつもなく強すぎるのでは、とも感じている。 子供の頃から、物事を極端にみていた傾向があったし、他人に対しての思い込みもとてつもなく極端だったと思う。 今もそうであるが、良いと思った人間はどこまでも良いし、悪いと思った人間はどこまでも悪く思ってしまう。 好きな人間と嫌いな人間がはっきりしていた。 そして、何があったとしても、心の奥底での感じ方に変化はなかった。 それに、世の中には自らのことばかり考えていてどうしようもない人間が多過ぎる、とも思い込んでいるふしがあると思う。 いつしか、思い込むって厄介なことだと思い込むようになっていった。 そして、頭が固いって言われていたことを思い出し、何とかできないかと思うようになっていった。 思い込みを利用できると思い込む 思い込みが厄介だと感じるようになってきた頃、この思い込みをうまく利用できないか、ということを考えるようになっていった。 思い込みなんだから変えられる可能性がある、と思い込んでみる、というような感じで。 とりあえず、頭が固くならず柔軟な思考ができるように、今までの先入観による偏見や固定観念を払拭していくことから始めていった。 そして、とにかく今までそうだと思っていた事柄をを疑ってみる。 いろんな角度から物事を見てありのままに受け入れられるように意識することを心がけた。 それに読書をしたり、自分のことを話すより他人の話を聞いたり、知らなかったことに興味を持ったりして視野を広げていった。 本やSNSなどは、あえて自分が思い込んでいたことの反対の内容や意見を読むようした。 そして感じたことは、自分は井の中の蛙だったということ。 恐ろしく狭い範囲の中で、自分は当たり前に物事を知っている普通の人間だと思い込んでいた。 それが哲学の本で読んだことがある「無知の知」だということに気づき、自分は何も知らないということが分かった瞬間、いろんなことが知りたくてどうしようもない気分になってしまった。 人間関係には利用できなかった 思い込み いぜん他人に対する思い込みを払拭することはできなかった...

色と視覚の不思議~当たり前じゃない世界

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いつも不思議に思っていたことがある、それは、色がどうして見えるのか、ということ。 光が照らしているから見えるのか、それとも光が反射しているから見えるのか……その疑問を解消するために調べてみたところ、色が見えるのは物体が光を反射しているということだった。 物体が色を持っているように見えるのは、その物体が特定の波長の光を反射し、他の波長を吸収するからだ、しかし、どう見てもその物体に色がついているように見えてしまう……。 その光にはさまざまな色が含まれていて、赤い色に見えるのは赤色以外を吸収して赤色だけ反射している、なので青色や黄色も同様に吸収された色以外を反射しているからである。 さらに、白い物体は光をすべて反射し、黒い物体は光をすべて吸収している。 目の奥にある網膜には色を感じる細胞があり、光の三原色に対応した細胞が感じたものを、信号に変えて脳に送られ、そこで処理されて色を認識している。 なんか、目が見える、色を認識できる人間の機能って凄い……。 そんなことをいろいろ考えたりしていた時に、ひとつの疑問が生まれてしまった。 もし、自分が生まれつき目が見えなかったとしたら……。 青い空も、白い雲も、緑の大地さえも認識できなかったはずである。 この世界にあるすべての色も……。 形のあるものは触れてみれば形や大きさが分かる。 とてつもなく大きい物体は模型を作ってもらい、それに触れてもいい。 しかし、色だけはどうしようもない。 色に詳しい人間に説明を受けたとする。 赤はこんな感じ、青はこんな感じで黄色は……など……。 まず……100%言っている意味が分からないと思う。 色を見たことがある人間が病気やケガで失明したとしても、見えていたときの記憶からイメージできるが、生まれてからずっと色を見たことがなければ記憶もないのでイメージすらできない。 そのときに、目が見えること、色を認識できることって凄く不思議なことだと感じてしまった。 そんなことを考えていたら、また疑問が湧いてしまった。 目が見える人間がまぶたを閉じた状態か、もしくは夜にまったく光が無い状態だと見える色は黒色だと思う。 生まれつき目が見えなかったとしたら、まぶたを開いていても閉じていても同じ黒...

人生と向き合う意味~不安を減らし限りある時間を大切に生きるヒント

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人間としてこの世に生まれてしまったら、何がどうなろうと、いつか必ずこの世とお別れする日がやってくる。 それを考えると、寂しさや怖さ、切なさが混じり合い、複雑な感情が湧いてききてしまう。 そして、多くの不安の源となるのも、やはり「そのときがいつ訪れるかわからない」という事実である。 仮に寿命を予想してみても、未来のことなど誰にもわからない以上、単なる数字遊びで終わってしまう。 だからといって、「未来を考えない」というわけにはいかない。 何の準備もせず過ごせば、後から後悔するだけとなる。 「あのとき、もう少し先のことを考えておけばよかった…」。 そうならないためには、今できることからひとつずつ、未来への備えをしていくことが大切である。 ただ、現代の忙しい生活の中で、「やるべきこと」「やりたいこと」が後回しになりがちなのも事実だ。 そのまま過ごしていては、せっかくの人生を無駄にしてしまうかもしれない。 だからこそ、今この瞬間から、自身の時間と人生を大切に扱う姿勢を身につけ、未来を悲観しない生き方と考え方を構築していきたい。 将来の不安には「備え」で応じる 未来を予測し、備えることができるのは、他の生き物にはない「人間の特権」である。 「備えあれば憂いなし」という言葉通り、準備することで、多くの不安が和らいでいく。 たとえば、防災グッズをそろえるように、人生の予想できるリスクに対しても、できる範囲で手を打つことから始めればいいと思う。 災害と同様、未来もまた予期せずやってくるのだから……。 貯金の習慣を身につける 生活が成り立つ範囲で、毎月必ず少額でも貯金してみる。 それは単なる買い物のためではない。 「未来への漠然とした不安」を、少しずつ減らしていくための行為となる。 もし、「お金があっても不安が消えない」という声があるなら、次のように考え直してみるとよい。 ないよりも、あるほうが確実にできることが増え、解決できる問題も増える。 その事実そのものが、「安心感」に換わるものとなる。 保険の活用 予期できるリスクには、できる範囲で保険をかけておくのもひとつの手だ。 世の中には、多様な種類の保険があり、種類によって役立つ状況も異なる...