欲望が環境を破壊する
ある日ふと思ったことがある。
「人間の欲望って、どこまで行くんだろう」と。
欲しいものを手に入れても、しばらくするとまた次の欲しいものが現れてくる。
それが当たり前のように思っていたけど、ふと立ち止まってみると、なんだか不思議な感覚になる。
自然はもともと、何も求めず、ただそこに在るだけだったはずだ。
森も川も、空も海も、欲なんて持たずに、静かに生きていた。
それなのに、人間の側が「もっと便利に」「もっと速く」「もっとたくさん」と望み続けてきた。
そのたびに、自然は少しずつ形を変えられて、時には破壊されてきた。
大きな工場から出る煙、過剰に作られたプラスチック、使い捨てられる電化製品、伐採される木々。
それが何のためだったのかと考えると、「人間の生活のため」としか言いようがない。
でも、「人間の生活のため」って、どこまで許されるのだろう?……。
一人一人が「少しぐらいなら」と思って行動しているうちに、気づいたら世界中で環境がおかしくなってきている。
暑すぎる夏、急に降る大雨、消えていく生き物たち。
もしかして、人間の欲望って、地球にとってのウイルスみたいなものなんじゃないか……そんなふうに考えてしまった。
もちろん、人間にも生きる権利はあるし、便利になることで助かっている命もある。
でも、「必要」と「欲望」は違う。
この世界に本当に必要なものは、きっと「もっと」じゃなくて「ちょうどいい」なんだと思う。
地球が壊れてしまったら、欲しがることさえできなくなる。
そう思うと、「欲望を少し抑える練習」も、今の時代には必要なのかもしれない。
欲望を少し抑える練習
じゃあ、「欲望を抑える」って、いったいどうやればいいんだろう。
我慢すればいい?……あきらめればいい?……そういうことじゃない気がする。
欲望って、なくそうとしてもなくならないものだと思う。
次から次へと湧いてくるし、それ自体が悪いわけじゃない。
問題なのは、それに振り回されてしまうこと。
スマホで広告を見たとたん、「あ、これ欲しい」って思ってしまう。
周りの人が持ってるのを見て、「自分も持ってないとダメかも」って思ってしまう。
それって、本当に自分の心から出た欲望だろうか?……。
……たぶん違う。
多くの欲望は、「外から植え付けられたもの」だったりする。
だからまずは、自分の中に出てきた「欲しい」という気持ちを、そのまま受け止めてみる。
そして、こう問いかけてみる。
「本当に必要?」
「今あるもので、何とかならない?」
「それがなくても、自分の価値は変わらない?」
この問いをすぐに答えなくてもいい。
ただ、ちょっと考える時間をつくるだけで、心のブレーキになる。
あとは、小さな選択を意識すること。
たとえば――
・お腹いっぱいだけど、もう一口食べたくなったときにスプーンを置く。
・なんとなく買おうとしたものを、その場で一度スマホのメモに書いて、今日は買わずに帰る。
・「もっともっと」と焦る気持ちを、一度深呼吸して静めてみる。
こういう小さな練習を重ねるだけでも、だんだんと「本当に必要なもの」と「ただの刺激」との違いが見えてくる。
不思議なことに、欲望を抑えると、逆に心が満たされるときがある。
「ああ、自分って、意外ともう足りてたんだな」って気づく瞬間(足るを知る)がくる。
欲しがることばかりに慣れてしまった心を、ちょっとだけ静かにさせてあげる。
その練習を、今日から始めてみてもいいかもしれない。
投稿:2025.6.10 火曜日