見られている時だけ誠実な人間

他人の目がなくても誠実なのかを隠れてみている人間




法定速度をはるかに超えて走る車や、前方の車にぴったりと張り付いて煽る車を見かけたことがある。

しかし、そんなドライバーも警察官やパトカーを目にした途端、まるで模範運転手のように急に安全運転に切り替える……そんな光景を見たことがある人は少なくないと思う。

職場でも同じようなことが起きている。

普段は愚痴をこぼしながら仕事をしている人が、上司が近くを通ると、突然口を閉じて手を動かし始める。

こうした「人の目を意識した行動の変化」を見るたびに、どこか情けないような、かっこ悪いような、そんなふうに感じてしまう。

「どうしてこんなふうになってしまうんだろう?」と思う一方で、「人間って、そういう生き物だから仕方がないのかもしれない」と思う自分もいる。

でも、この「見られているときだけ誠実なふりをする」という行動の裏には、もっと根深い心理や社会構造が潜んでいるのではないか、そんな疑問が湧いてきてしまったのである。


見られているから守る──誠実さの“ふり”

人は、誰かに見られていると感じたときにだけ、ルールやマナーを守ることがある。

それは、「ルールそのものを大切に思っているから」ではなく、「罰せられたくない」「怒られたくない」「悪い印象を与えたくない」といった自己防衛や印象操作のためだと思う。

つまり、動機の根っこにあるのは「正しさ」ではなく「恐れ」評価への欲望」な感じがする。


誰かに見られていると行動が変わる──ホーソン効果

このような現象は心理学では「ホーソン効果(Hawthome Effect)」と呼ばれている。

これは、「誰かに見られていると感じると、行動を改善しようとする」心理的傾向を指す。

例えば、職場で上司が近づいてきた瞬間、急に手を動かす人、まさにこのホーソン効果の典型である。

ただし重要なのは、その行動の動機が「内側の誠実さ」ではなく、「外からの目」であるという点であること。

だからこそ、見ている人がいなくなると、すぐに元に戻ってしまう。

もっとひどい人になると、その上司がいなくなってから陰口を言い始める……生産性の悪化に加え、周りの雰囲気も悪くする「どうしようもない」人も世の中にはたくさんいる。


よく思われたい──社会的望ましさバイアス

また、「他人からよく見られたい」という気持ちも行動に大きく影響する。

この傾向は「社会的望ましさバイアス」と呼ばれている……なんか初めて聞く言葉なので「ぼうましさ」と呼んでしまったが「のぞましさ」が正解。

これは、自分の本音や本当の価値観よりも、「他人からどう思われるか」を優先する心理。

たとえば、「ボランティア活動は大事」と言いながら実際には何もしない人や、SNSで正義感の強い発言を繰り返す人などが、これに当てはまるかもしれない。

動機が「実行」ではなく「印象」になってしまうと、行動の中身は空っぽになりがちになる。


道徳的偽善──「よく見せる」だけの落とし穴

このように、外側の目ばかりを気にして正しくふるまう”ふり”が積み重なると、やがてそれは「道徳的偽善(Moral Hypocrisy)」へと変わっていってしまう。

これは、「他人には道徳を求めるけど、自分は例外」「正しく見られたいけど、実際に善行を行うつもりはない」、という矛盾した態度だが……。

こうした人間が増えると、誠実さが「損なもの」として扱われ、本当に誠実な人ほど損をする社会になってしまう。


ルールは誰の目のためにあるのか

こうした問題の根本には、「内発的動機」と「外発的動機」の違いがある。

・内発的動機:自分の価値観や信念によって行動する、誰も見ていなくてもルールを守る。

・外発的動機:怒られたくない、よく見られたいといった「外からの圧力」で行動する。

外発的動機にばかり支配される社会では、モラルや秩序は「監視の有無」左右されるようになってしまう。

すると、誠実さはだんだんと「演技」になり、誰もが「見られているときだけいい人」のふりをするようになる。


”ふり”をする人が得をする社会

現実には”ふり”がうまい人の方が得をしてしまう場面もある。

職場では、上司の前だけ頑張って見せる人が評価され、目立たずコツコツ動いている人が見過ごされてしまう。

道路では、パトカーの前だけ安全運転するドライバーが検挙を免れ、普段の危険運転はみのがされてしまう。

そうした不公平な状況を見たとき、

「結局、ふりをした方が楽だし、得なんじゃないか?」

こうして、”ふり”が生き残る社会が少しずつ形成されていくのかもしれない。


それでも……見られていなくても誠実な人へ

それでも、まだ希望はあるような気がする。

誰も見ていなくてもゴミを拾う人がいる。

誰も評価しなくても、真摯に仕事に取り組む人がいる。

見返りがなくても、親切にする人がいる。

そういう人が、社会の底を支えていると思う。

演技ではなく、心の底から「誠実さ」を持って行動できる人が、信頼という土台を築いていると思う。


終わりに

「見られているときだけ良いふりをする人」が評価されると、本当に誠実な人はやがて心を離し、去って行ってしまう。

社会にとって本当に危険なのは、「ルールを破る人」よりも、「”ふり”だけする人」が増えることかもしれない。

見られているかに関係なく、常に同じ自分でいられること。

それこそが、これからの時代に必要とされる「静かな勇気」なんだと思う。






投稿 2025.4.15 火曜日

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