本当のペットロスとは何か?長い間共に生きた猫「みゃんこ」が教えてくれたこと
19年間、共に過ごした「みゃんこ」を失ってしまい、心にぽっかりとみゃんこの形をした穴が空いてしまった……。
日常にあった当たり前の風景が消え、静まり返った部屋にただひとり取り残されたような感覚。
そして、どうすることもできない重度のペットロスに陥ってしまい、心が打ちひしがれていた。
過去にもペットを見送った経験はあった。
そのときも「もっと大切にしてあげればよかった」と後悔したし、「ごめんね」「ありがとう」と何度も心の中でつぶやいた。
あの頃は、それがペットロスだと思っていた。
でも、みゃんこのときは違った。
それ以上の、もっと深い喪失感……ただの後悔や哀れみでは表現しきれない、何か大切な一部を失ってしまったような、ぽっかりと心に穴が開いたような感覚に囚われていた。
思い出を振り返る
みゃんこが亡くなってからというもの、「もっと美味しいものを食べさせればよかった」「もっと構ってあげればよかった」「もっと、もっと……」と後悔ばかりが頭の中を巡った。
それはこれまでに感じたペットロスと似ているようでいて、まるで違った。
ふとした瞬間に、心の奥底から感情が込み上げてきて、涙が止まらなくなる日々。
なぜ、こんなにも苦しいのか?。
なぜ、いつまでも心の穴が埋まらないのか?。
みゃんこが長生きだったから?。
一緒に過ごした時間が多かったから?。
それとも、自分が心の支えとして、深く依存していた存在だったから?……。
どれも間違いではない。
けれど、もっと、根っこの部分で、自分は何かを忘れている気がしていた。
共有していた日々
そこで、みゃんことの19年間をひとつひとつ、ゆっくりと思い返してみた。
そういえば、みゃんこを迎えて数年後、自分の母親が亡くなった。
みゃんこにとっては、毎日ごはんをくれていたい存在が、突然いなくなったのだから、不思議で仕方なかったはずだ。
その後、みゃんこの晩年に15年生きた犬も亡くなった。
みゃんことその犬は特に親しいわけではなかったけれど、一緒に散歩に出かけたり、同じ空間にいたりと、確かに日々を共有していた。
あの犬が突然いなくなったとき、みゃんこもまた、「いない」という現実をどう感じていたのだろう。
こうして振り返ってみて、ようやく気づいた。
自分は、みゃんこと同じ風景を、同じ時間を、同じ感情を、共有していたということに。
暑い夏、寒い冬、心地よい春や秋……。
母親の死も、犬の死も、悲しみも、癒しも、すべてをみゃんこと一緒に過ごしてきた。
悲しみを共有した存在がいなくなるということは、単に寂しいだけじゃない。
その存在と一緒に感じてきた「記憶の重み」までもが、ぽろりとこぼれてしまったような喪失感が、胸に深くのしかかっていたのだ。
そのとき初めて、本当の意味での「ペットロス」とは何かを理解した気がした。
あとがき
本当のペットロスとは、単に哀れみや後悔だけでなく、その存在と共に感じていた時間や感情、記憶そのものを失う痛みなのだと思う。
でもきっと、時間が経てば……。
自分の心の中で、みゃんこと共有したすべての時間が、今度は優しい記憶として輝き始める日が来ると信じている。
そのときにはきっと、心の穴も少しずつ塞がっていくはずだから。
イラスト しらた
投稿:2022.4.5 火曜日