時間は無情にも過ぎていく

無情にも過ぎ去っていく時間




自らに与えられた時間は、この世に生まれたその瞬間から始まり、そして死ぬまでずっと続いていく。

今思うと、子どもの頃って1日がものすごく長かったんじゃないかな……。

夏休みなんて、永遠に続くんじゃないかってくらい長く感じてたような気がする。

でも、大人になってからはどうだろう。

気づいたらもう年末、もう誕生日、もう新年度。

そんなふうに、あっという間に時間が過ぎていく。

なんでだろうと思ってたけど、たぶん年齢を重ねるごとに、感じる時間のスピードってどんどん速くなっていくんだと思う。

新しい体験が少なくなればなるほど、記憶に残ることも減るし、「ただ通り過ぎていくだけ」の日々が増えてしまうのではないのだろうか。

楽しいことって、本当に一瞬で過ぎ去ってしまう。

旅行に行っても、ライブに行っても、好きな人と会っていても、「え、もう終わり?」ってなる。

逆に、嫌なことって不思議なくらい直ぐにやってくるし、しんどいときほど時間が長く感じてしまう。

でも、どちらにせよ、それすらもいつの間にか過去になっていて、思い出に変わっていく。

「時間ってなんなんだろう」って、昔は真剣に考えてた時期もあった。

けど、そういう哲学的な問いに答えを求めて悩んでいる時間こそ、ある意味一番の無駄だったのかもしれない。

だって、どんなに考えたって、どんなに逆らおうとしたって、時間は止まってくれない。

待ってくれないし、巻き戻してもくれない。

悲しかろうが、嬉しかろうが、お構いなしに前に進んでいく。

時間は、本当に無情だ。

もしタイムマシンがあったらどうだろう。

きっと多くの人が未来に行って、宝くじの番号や株価の動きを調べて、それを今に持ち帰って「勝ち組」になろうとするんじゃないかな。

過去に戻っては、あのときの失敗を回避して、人生をやり直そうとする。

でも、それって全部、「今の自分をよく見せたい」「失敗したくない」「楽して成果を得たい」っていう、欲望のかたまりだと思う。

未来に行っては欲を満たし、過去に戻ってはやり直す──そうやって、どんどん自分の人生を"操作"するようになっていく。

そして、たぶんそのうち気づく。「自分は人生を変えてきたつもりでいたけれど、自分自身は何ひとつ変わっていなかった」と。

どれだけ外側の状況を理想的に整えても、自分の中の不満や焦りが消えない限り、永遠に「もっと良くしたい」って思い続けてしまう。

タイムマシンに乗って、理想の人生を作ることが目的になってしまったとき、ふと気づく。

 「自分の"時間"は、結局ひとつも変わってなかったな……」と。

欲望に任せて、過去も未来もいじくり回して、満足するどころか、いつの間にか本来の目的を見失っていた──そんな可能性だってある。

そして、ようやく「残りの時間があとどれだけだろう」と考えはじめたとき、自分の人生は何だったのか、って虚しさに襲われるのかもしれない。

でも、現実にはタイムマシンなんてない。

だから、潔くあきらめるしかない。

過去をいじることも、未来を先取りすることもできないのなら、今ここにある時間を大切にするしかない。

過去の失敗をいつまでも悔やんでいても、もうどうにもならない。

もしその時間を使うとしたら、「これからの未来をどうすればもっと有意義にできるか」を考えるために使ったほうがいい。

過去は、もう二度とやってこないのだから。

時間は残酷だけど、だからこそ、今をどう生きるかが本当に大切になる。

誰の人生にも限りがあって、取り戻せないってわかってるからこそ、今日という1日を丁寧に扱う意味がある。

誰だって、思い通りにならないことはあるし、失敗だってあるし、後悔だってする。

だけど、時間だけはずっと前に進んでる。その事実からは、逃げられない。

だからこそ、やる気を持って、今この瞬間から、自分の時間を生きていくほうがいい。

──ていうか、それしかない。





イラスト イラストスター

投稿 2022.2.5 土曜日

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