欲を捨て無欲になりたいと思うのも欲
「欲を捨てて無欲になりたい」と思うことがよくある。
物質的な豊かさや名声を追いかけることに疲れ果て、もっとシンプルに、静かに生きていきたいという気持ちの表れなのかもしれない。
心の平穏を求める気持ちは、多くの人が一度は抱くものだろう。
でも、ふと思う「無欲になりたい」というこの思いも、実は欲のひとつなのではないか?……と。
欲とは、「何かを求める心の動き」だ。
たとえそれが「何も求めないでいたい」という願いであっても、その状態自体を求めている限り、それは「無欲という名の欲」だと言えるのかもしれない。
欲は、人間にとってのエネルギー源
人の欲にはいろんな種類がある。
体が求める食欲や睡眠欲は、生きるために誰にでも共通してあるものだ。
けれど、心が求めるもの――安心、承認、愛情、成功――そういったものは人それぞれ違っていて、人間の数だけ欲望があると言ってもいい。
欲があるからこそ、人は動ける。
働き、学び、関わり、何かを目指すことができる。
実際、すべての生き物は、欲によって生命を維持し、種を存続させている。
食欲がなければ生きていけないし、性欲がなければ人類は続かない。
物欲があるから経済も回っている。
ただ、人間は社会という複雑なルールの中で生きているからこそ、自分の欲を「適切にコントロールする力」が求められている。
しかし実際には、バランスを取るのはとても難しい。
なぜなら、人間は本能的に欲を持っている存在だからだ。
理性でコントロールできると頭ではわかっていても、感情や衝動が先に動いてしまうことはよくある。
欲を捨てることはできるのか?
正直に言って、これはとても難しい課題だと思う。
「人と比べるのをやめよう」「足るを知ろう」――どれもよく聞く言葉だけれど、実行するのは簡単ではない。
むしろ、「欲を捨てよう」とすること自体が、自分に無理を強いている気がすることもある。
それでも、「欲に振り回されるのはもう嫌だ」という思いが強くなり、無欲を求める。
けれどそれもまた、欲の一形態に過ぎないと気づいてしまう。
とはいえ、人には時折、欲を手放せる瞬間がある。
それは、多くの場合、「欲望に突き動かされて失敗したあと」にやってくる。
欲を追いかけすぎてうまくいかなかったとき、「もういいや」と心の底から思えるようになる。
そこで初めて、自然と欲が静まることがある。
人間は、失敗から学び、欲を自覚的に扱えるようになっていく。
とはいえ、また同じような欲に駆られて失敗してしまうのも人間だ。
でもそれでいいのだと思う。
失敗を通して、自分と向き合い、少しずつ欲との付き合い方を覚えていけばいい。
欲と向き合いながら生きていく
結局のところ、人間は「欲と共に生きる存在」だ。
完全に欲を消し去ることはできない。
だからこそ、それを認めたうえで、「欲に囚われない心」を育てていくことが大切なのだと思う。
欲をうまくコントロールできれば、自分を大切にできるし、人にも優しくなれる。
他人の欲に巻き込まれず、自分の本当に望んでいることを見極めることができる。
そして、その「本当に望んでいるもの」に向かって努力することこそが、生きる意味であり、人生の意義なのかもしれない。
必要なのは「欲を捨てる」ことではなく、「欲とどう向き合うか」なんだと思う。
イラスト 星野スウ
投稿:2021.9.5 日曜日